約束 ~幼馴染みの甘い執愛~
力だけではなく魂まで抜けそうになった身体を動かして、半ば諦めた心地で玄関扉を開くと、そこには仕事帰りの雪哉が悠揚と立っていた。
「お疲れさま、愛梨」
雪哉はにこやかな笑顔を添えて、今日の労働を労ってきた。
強引にも程がある。
思わず大きめの溜息が出た。
話があるなら玄関先で済ませよう――というのはあくまで愛梨の願望で、雪哉は拒否の一言さえ言わせない俊敏さで扉を広く開け、そのまま中まで入り込んできた。『お邪魔します』なんて丁寧に付け足した言葉が鼓膜に響いて、愛梨は項垂れるしかない。
「……可愛くて物静かだった昔のユキはどこに行っちゃったんだろう…」
玄関で靴を脱いだ雪哉は、まるで自分の家に帰って来たのかと思う程ごく自然な足取りでリビングまで歩いていく。と言っても、愛梨の家は玄関のすぐ隣に小さなキッチンがあって、その奥にある12畳の空間にベッドとテーブルとテレビボードの全てが配置された小さなワンルームなので、歩き回るような広さはない。
「ユキ、仕事で何かあったの?」
「あ、仕事でって言うのは嘘なんだけど」
「嘘なの!?」
部屋の中を興味深げに眺めていた雪哉が愛梨の問いかけをさらりと笑い流すので、思わず驚愕の声をあげてしまう。
「ユキ、意味わからない事だらけだよ?」
仮に仕事で困ったことがあったとしても、愛梨が手助けできるような事はもちろんない。社内に流れる噂を聞く限り、雪哉は通訳としての技能に加えて、ビジネスマンとしての才覚ある立ち振る舞いと、上流貴族のような優美な所作を兼ね備えた、完璧な通訳であるらしかった。
でも上流貴族は、そんなどうでもいい嘘はつかないと思う。英語を喋ってるからそう見えて、みんな騙されてるだけに違いない。
「っていうか、お昼のあれ何!? 」
「そう、その話をしに来たんだ」
どうやら雪哉の話の本題は、愛梨が話したい事と一致しているらしかった。むっとして見上げた雪哉の顔がいつになく楽しそうな事に気付く。
「実はさっき副社長に呼び出されて『うちの社員に手を出してるって噂を聞いたけど、本当?』って聞かれて」
「……え…?」
副社長、と愛梨にとっては雲の上の存在が突然話題に出てきて、思わず言葉を失う。