イチゴ 野イチゴ
第一章

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     イチゴ 野イチゴ

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 鏡の中を見つめて美似菜はにっこり微笑んで頷いた。
 きれいに磨かれた鏡は大きくキラキラと輝いて、毎日この瞬間エネルギーが吹き込まれるように感じる。

 鏡の中おんなじ顔が並んでいる。
 それはそのはずで、毎朝の事だから不思議な事はない。
 朝日が窓から差し込んで鏡を通り抜ける。

「いけてるよね?」
「当たり前じゃん!髪の毛ポニーテールにするの?」
「うん、似てきちゃうからイヤ?」
「ううん、別に。同じ顔なんだから似合うに決まってるし」

 ミイナの隣にうつってるのはミク、双子の妹。
 毎朝、自分たちの部屋にある大きな鏡に向かって髪をといて両側に結んでみたりポニーテールにしてみたり。
 一卵性双生児っていうのは、本当にそっくりな顔をしているものでママは間違えないけれど、パパは時々間違えて頭をかく事がある。

「ねえ、今度の陸上競技大会でリレーの選手に選ばれたんだ」
「ふうん、いいじゃん!頑張ればいいよ、応援してるから」
「いやじゃない?あたしが走るの」
「なんで?気にしてるの?あたしがもう走れないから?だからってミクが走らないから喜ぶってもんじゃないでしょう?」
「ミイナ悲しい想い、しない?」
「ミク!あたしの為に生きてるの?ミクはミクだよ!ちゃんと自分の為に生きなくちゃダメ!その気弱なところ直さなくっちゃね、本当に」
 我ながらなんて心の広い姉なんだと思うな。
 息を吸い込んでミイナはそう思った。

 ミイナは外を眺めてため息をつく。
 さっきまで朝日が差し込んでいた空は、灰色の雲に覆われて雨が降ってきそうだ。
 雨音が自分たちの部屋の窓に当たって、跳ねる音がし始める。
 ああ、そうだ。窓の外に、置きっぱなしだったあたしの傘、この前雨が降ったのはいつだっただろう。ミイナはそんな事を頭の片隅で考えていた。
 大粒の雨は憂鬱な一日が始まるように思えた。

 ミイナは陸上部のエースだった。
 ミクはそんなミイナに憧れていたけど、同じように早くは走れなかった。
 同じ容姿できっと同じ身体で、筋肉のつき方だってバネの強さだってきっと同じだろうと誰もが思うだろうな、ミイナは思う。
 でもいつでも走り回ってるミイナとそれをしゃがんで見てるミクとは、明らかに違う人間で心も感じ方もやっぱり違うんだ。
 姉だって思われたい気持ちが、すごく強かったんだとは思う。
 なにかにつけて頑張らなくちゃって気持ちが強かった。
 でも、今となっては過去の話。
 雨音を聞きながらミイナは考えていた。

 あたしは走れる足を、走り回れる術を失ったんだ、あの事故で。
 胸のどこかがチクリと痛んだ。肺に空気が入ってこない。

 人生なんてほんの一瞬の選択肢で右と左、生と死、激しくかけ離れた結果が待っているものだ。
 あの日はそう、二人の誕生日だった。

 なんでもインスピレーションで物事を決めてゆくミイナと違って、ああしたらこうなってそうしたらああなって、って考えまくりのミクは、誕生日をどうやってお祝いしてもらうかを決められなかった。

 ミイナの家はパパもママも忙しく仕事を持っている。
 仕事の話をしている時のママはキャリアウーマンという言葉がぴったりで、かっこいい。
 それを見守るパパはとても優しい瞳で、理想の夫という感じだった。

 忙しい中でも二人はお似合いの夫婦に違いないと思っていたし、ミイナの自慢でもあった。
 それでも、二人とも決め事がいくつかあって、特別な日には仕事も置いておいて夜はたっぷり時間を空けて家族できちんと過ごすという約束だ。

 二人ともそんな約束があるから普段忙しくてパパやママに会えない日だって我慢するし、話したい事は特別な日用に取っておく。

 ミイナは、家でゆっくりケーキやピザやお寿司や、そんなものに囲まれての誕生日でいいかなと思っていた。それだけで満足だった。
 でも、ミクは以前パパとママの結婚記念日に行ったレストランで食事もいいなと思って迷っているようだった。ミクが出かけたいんだったらそれでもいいと思ったからミイナはそう言った。

「どっちでもいいよ、ミクの好きな方で」
「ミイナはホームパーティーがいいんでしょ?それも悪くないかなぁ、でもこの間出かけたレストランとっても素敵だったしもう一度行ってみたいなって」
「ミクが行きたいんだったら電話して予約取るよ。どうする?電話しようか?」
「う~ん、どうしようかな、ケーキは駅前のラブリーのケーキだよね。あそこのケーキも食べたいし。どうしよう、お寿司もいいよね。レストランはまた今度にしたらいいかな。でも、そうすると、今度のスペシャルデーっていつだろう?」
「そうね、ママのバースディだから、再来月?」
「寒くなって来るから、出かけるんだったら今日かなぁ」
「ん、じゃ、店に電話して予約取るね」
「えっと、待って、やっぱりラブリーのラズベリースペシャルがいいかな。それから、お寿司かな」
 この段階でも、ミクは腕を組んで考えている。

 そろそろミイナの我慢が限界に達しようとしていた。
「もう、決定!ホームパーティーにお寿司で、もう変更なし!」
 腕を組んで考えていたミクは、ハッとして顔をあげてバツの悪い表情になった。

 いつもいつでも、そうなんだ。ミクは物事が決められなくなると、永遠と堂々巡りに陥っちゃうんだ。そうして、イライラしたあたしが決断する。で、ミクは自己嫌悪に陥ってしまう。
 我慢して我慢して、一生懸命ミクの決断を待とうとは思うんだ。だけど、そこまでの辛抱があたしにはできなくて。
 結局、いつでも同じことの繰り返し、ミイナは心の中でイライラと呟いた。

 ミイナは自転車を飛ばして駅前のラブリーというケーキ屋さんに向かった、イライラしたまま。

「いつまでも考えてたら、パパやママから連絡が入っちゃう時間になっちゃうじゃないよ!昨日だって決められなくて延ばし延ばしになってたんだから!まして、ミクの誕生日だけど、わたしの誕生日でもあるんだからね!いい加減にしてほしいな!」

 街は街頭が灯りはじめて、日もかげりゆったりした時間の流れが加速してゆく。
 ラズベリースペシャル、まだあるかしら。
 パイ生地にチョコレート、刻んだココナッツが甘い香り。ラズベリームースはあくまでも柔らかくしっとりと甘くて酸っぱい。大好きなケーキ。このケーキ屋さんで一番の人気。
 今日はラズベリースペシャル、ホールで買えるなんてとっても贅沢。

 ミイナは自転車をこぐ足に力を入れた。たくさんの人も車も追い越してゆく。
 交差点でミイナの自転車を追い越してゆくバイク。くそぅ、バイクには負けないぞ!
 そう思った矢先の出来事だった。前を走っていたトラックがガクンと車体を浮かび上がらせる。
 耳障りな音が鼓膜に残る。

 周りのシーンはスローモーション。
 しっかりと止めてあった筈の四角い荷物がガクンと車体がはずむのと一緒に傾いで横滑りした。その荷物にはじかれて、鉄の長い棒を止めてあったロープが緩んだように見えた。
 荷台に積んでいたたくさんの鉄の長い棒がゆっくりと目の前に転がってきた、物凄い音を響かせながら。

 遠くの方でキキキキーというブレーキ音と何かが倒れる音、ギィィードスンという不気味な音。
 どこかでタイヤが空回りしているような音も聞こえている。キュルキュルという音が遠ざかってゆく。人のざわめき、悲鳴。
 はるかかなたの方で聞こえる救急車の音。

 ミイナは今どこにいるのか自分がどうなっているのか、考えもしなかった。
 別世界で何かが起こった、そう思うけど何かはわかない。息が苦しくて声がでない。

「ラズベリースペシャル、残ってるといいな」
 声に出して言ってみたけれど、自分の耳には聞こえてこなかった。
 ただ、自分の右足の膝から下が自転車と何か黒くて大きな物に挟まれて見えなくなっているのが目に映った。
「ラズベリースペシャル、ホールで買えるってなんて贅沢なのかしらね」
 優雅にほほ笑んでみたけど、ケーキを食べる事はきっとなかったのかもしれない。
 それきりミイナの記憶は残っていない。


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