花鎖に甘咬み
× × ×
「ちとせ」
ビリビリと空気が震えるような感覚が腕に走る。
お父様とこうして向かい合うのは────家を飛び出したあの日以来だ。政略結婚を言い渡されたあのとき以来。
つい先刻、北川の屋敷に帰ってくるなり。
『ちとせお嬢様!?』
『大変です! お嬢様がお帰りになりましたっ!』
『ちょっと、今すぐご当主さまに連絡なさいっ』
屋敷中がてんやわんやの大騒ぎに。
それはすぐさま書斎のお父様の耳に届き、呼びつけられるままに、書斎へと向かったのだった。
「今までどこに行っていた。答えなさい」
高圧的な厳しい視線が注がれる。
ひるみそうになるけれど、必死にこらえて。
「家出、しようと思ったの」
「家出だと? 世間も知らぬような小娘が覚悟もないくせに────」
「覚悟ならあったわ! この家にはもう二度と戻ってくるつもりなかった。どんなに厳しい暮らしが待っていたとしても、北川での息苦しい毎日よりは絶対にマシだから……」
実際に、そうだった。
手探りに飛びこんだ茨の中の世界は、今まで “ふつう” だと思っていたものすべてがひっくり返るような無秩序な空間で、訳もわからないまま命からがら息も絶え絶えに追われて逃げて────。
それでも、北川の屋敷の中より、ずっと息がしやすかった。
見るものすべてが鮮やかで、なにより取り繕う必要も、向けられる視線に値踏みを感じることも、なくて。
「だが、お前はこうして戻ってきただろう。結局、この家を出て生きていくことなど、お前にできるわけが……」
「違う!」
首を横に振る。
「戻ってきたのは……お父様からもう逃げないため。何も言わずに逃げ出したけれど、今度はちゃんと、真正面からぶつかろうって」
はあ、とお父様の口からため息がこぼれる。
「好きにしろ。ただ、戻ってきたからには森宮との婚約を受け入れる気はあるんだろうな?」
来た。
すべての発端の、婚約話。
覚悟を決めるべく、すう、と息を吸って。
「いいえ」
きっぱりと首を横に振った。