花鎖に甘咬み
「……」
唯月くんの問いを受けて、深く息を吸う。
お父様のことは、これで解決した。私はこれで晴れて自由の身で、それはずっと望んできたことで────でも。
「ううん」
きっぱりと首を横に振る。
「まだ、やらなきゃいけないことが残ってる!」
瞼を下ろすとはっきり思い浮かぶ姿がある。
たとえ、〈彼〉が忘れろと言ったとしても、きっと忘れられない。忘れない、忘れたくない。
「唯月くん。私、〈薔薇区〉に────〈北区〉にもう一度だけ戻らなきゃだめなの。大切な、何よりも大切な忘れ物があるからっ」
「……あの場所が、どれほど危険かは、もうわかっていますよね」
こくりと頷く。
「一歩間違えれば、死にますよ」
「っ、わかってる」
「俺がどれほど心配しているかも、わかりますか?」
「わかってる、つもり」
もっともな忠告だ。
もう一度、あの茨の向こうへ足を踏み入れることがどれほど危険なことかは、正しく理解しているつもり。怖気づかないといえば、嘘になるくらいには。
でも、それでも、私は諦めが悪いのだ。
「唯月くん。協力、してくれないかな。……無茶だっていうのは、わかっているけど……」
私ひとりでどうにかできるなんて思わない。
これは、正真正銘、一世一代の無茶なのだ。
そうまでしても、あの人を。
今も、孤独に溺れるあの人を。
「ほんと、仕方ない人ですね」
「……え」
こんなにあっさり首を縦に振ってくれると思わなかった。
思わず唯月くんを二度見すると、彼は儚く微笑む。
「この私にお申しつけください。何なりと、お嬢様の仰せのままに」
「どう、して」
「舐めないでください。……これでも俺は、色々と吹っ切れているんです」
ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、唯月くんは、ふ、と笑った。
「お嬢様にとって“大切なもの”があの茨の向こうにあるなら、どんな手をつくしてもどんな無茶でも、たとえ俺が全力で引き止めたとしても、あなたは振り切って飛び込んでいく。そういう人でしょう。────私はそういうお嬢様だから好きになったんです」
それなら手を貸すのは当然のことでしょう、と続けて。
「そうと決まれば、さっさと作戦会議しますよ」
燕尾服の裾が視界の端ではためいた。
ポケットから取り出した、紙きれ────燈さんからもらったあの紙きれが手のひらのなかでくしゃりと音を立てる。
「唯月くん、ありがとう」
「いえ、当然のことです」
「それから、お嬢様呼びはいい加減禁止……!」
「あ」
茨の向こうのあなたに手を伸ばす。
どれだけ遠くても、あなたがたとえ諦めてしまっていても。
私は、真弓を、諦めない。