「指輪、探すの手伝ってくれませんか」

 出来る事ならば帰りたくはなかった。しかしあの場で喚き叫び、平気で修羅場を繰り広げられるほど恥も外聞もない人間ではなかったらしい。
 反抗期にでも入ったのかと思うほど、思うように動かせない足を引きずって何とかマンションにたどり着く。鍵を開ける手が震えたのには少しイラついたけれど、寒さのせいにしよう。部屋に入って、リビングのソファーにぼふりと身体を沈めて、やっぱ浮気かぁ~、なんて他人事のように思った瞬間、涙腺が壊れた。

「…………っ、う」

 ふっざけんなよ!そう思えたら、どれだけ楽だっただろう。裏切られて悲しいという感情を、裏切りやがってクソ野郎がと何でもいいから怒りに変えたい。なのに、どうして?だとか、何で?だとか、頭の中にはそんな言葉しか浮かばない。
 どうやら志乃宮さんは、釣った魚に餌をあげないタイプらしい。だからあの日、私が彼を好きだと自覚して、欲望のままにセックスをしたあの夜以降、彼の態度に違和感を覚えたのも納得がいく。彼は典型的なそれだったのだろう。初めての男(くろれきし)もそうだし、親友と浮気した元彼(くそやろう)もそうだし、私は男を見る目がないのかもしれない。いや、きっとない。
 頬を拭って、目を擦る。それでも歪みのなくならない視界の中で、手の甲に張り付く細やかなラメの入ったアイシャドウと滲んだマスカラが見えた。鏡なんて見るまでもなく、顔面では惨劇が起こっているのだろう。まぁ私的には顔面だけでなく、メンタルだって惨劇そのものなのだけれど。

「…………しょうも、な……っ」

 呟き終わる前に、ひくりと喉が鳴った。
 恋愛に(うつつ)を抜かすタイプではないはずだと自負していたのだけれど、気を抜けば涙腺が崩壊する現状をみれば全くもってそうではない事が分かる。
 ああ、苦しい。痛い。辛い。
 不貞をこの目で見てしまった以上、彼との関係は続けられない。いやもしかしたら彼の気持ちは既にあの女の人へ向けられて、私に向けてくれていたものは微塵も残っていないのかもしれないけれど、何にせよ、話はつけなくてはいけない。
 ただこの家を出て行って、宙ぶらりんのままになるのは嫌だから。
 そう思った瞬間、ピコン、と携帯が鳴った。

「…………は、」

 のそりと上体を起こして脱ぐ事さえしていなかったコートのポケットから携帯を取り出せば、【志乃宮さん】と【すみません】が表示されているポップアップ。
 見たくない。
 心とは裏腹にするりと動いた親指はロックを解除して、それを開く。

「…………ほんと、くそ、」

 画面を見て、私はすぐに携帯の電源を落とした。
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