「指輪、探すの手伝ってくれませんか」

「も、もぉ、志乃宮さん。びっくりしたじゃないですか」

 動けたのかよ!という文句を、猫かぶり言葉に慌てて変換する。くそ。さっさと帰ればよかった。無駄にした五分を返せ。

「あーえと、じゃあ私はもう帰りますね。シャツとか皺になったらあれなんで、出来たら着替えた方がいいですよ」

 まぁいい。これでもう私はお役御免だろう。よし、帰る!あとは寝床を確保するだけだ!と気合いを入れ直して、そこを退いてはくれまいかと遠回しに伝える。しかし、リビングへと繋がるそこで立ち塞ぐ目の前の男はじっと私を見下ろしているだけで動く気配がない。
 聞こえてない、なんて事はないはずだ。突っ立って目を開けたまま寝ているだとかそんな漫画みたいな展開、私は認めない。断じて認めない。
 とはいえ、ここで立ち往生するつもりだってない。名前を呼んで、退いてはくれまいかと今度はストレートに物申す。

「……あの、」

 しかし無反応。返事もなければ表情だって動かない。当然、退きもしてくれない。何だこいつ。イラッとして、頭の中で悪態ついて、ハッとする。
 何か、あったぞこういうの。人当たりのいい隣人だとか同僚だとかが急に豹変するってやつ。実はサイコパスだった!とか連続殺人事件の犯人だった!とか。先月か先々月あたりに読んだ小説であったぞそんなやつが!

「……し……しの、みや、さん……?」

 え待ってこいつそのパターン?そのパターンなの?
 え待ってそんな事ある?あったりするの?
 え?

「……あ、あの……っ」

 いやまさか!んなわけ!と沸き出た恐怖をどうにか誤魔化して再び声を掛けようとした瞬間、一歩、彼は前へと踏み出す。
 ひゅっと喉が鳴って、吐き出すつもりだった「志乃宮さん」は食道を逆流する。そしてまた一歩、彼は、今度は左足を前へと踏み出した。
 ある!あったわそんな事!
 ずり、ずり、と距離を縮められないようにと後退る。しかし忘れてはならない。ここは室内、しかも寝室だ。後ろをよく確かめもせずに後退れば。

「った!う、あっ!」

 当然、何かにぶつかり、転ぶ。
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