獅子に戯れる兎のように
 ……それは知っている。

 日向のご両親が経営していた居酒屋『日和』でもらった焼き鳥の味は、今も覚えている。

「ご両親は今はどちらでお店を?」

 暫く沈黙が流れた。
 聞いてはいけないことだったのかな。

 以前お店のあった場所は、高層ビルになっている。そのビルの中に、日向のご両親の店舗はなかった。

「両親はもう亡くなりました。だからもうあの焼き鳥を食べることは出来ません」

「亡くなった……。ごめんなさい、私無神経なことを聞いてしまって……」

「いえ、俺の親はお人好しで、人を疑うことを知らない正直者でした。叔母の連帯保証人になり借金を背負わされ、そのせいで母は亡くなりました。不幸を絵に書いたような人生でしょう」

「……そんな」

「母を死に追いやった父が憎かった。でも……不思議ですね。憎しみは年月と共に薄れていく。今は……懐かしさしかありません」

 日向の両親が亡くなったことを知り、私は言葉に詰まる。

「俺、高校時代グレていたんですよ。教師や親に反発ばかりしていた」

「……想像つかないな」

 つい、口から出た言葉。

 本当は知っている。
 日向は尖っていて、不良高校生だった。

「荒れてた時に、ある女性と出逢いました。親が勝手に雇った家庭教師でした。俺は彼女に酷いことをした。でも両親が死んで、彼女の言葉の意味がやっと理解出来た」

 私……
 彼に何か言った?
 全然覚えてないよ。

「この世は学歴社会。弱者は潰される。だから俺は大学に進学した。父親と同じ生き方をしたくないと本気で思ったから」

 学歴社会……。
 私、彼に大学進学を勧めたかもしれない。

「俺はその女性をずっと捜していました。彼女は俺に『川と海では生態系が異なる。共に泳ぐことはない』って、俺を拒絶した。でも……合流したね、雨宮先生」

 日向の言葉に……
 雷に打たれたように、全身に衝撃が走った。
< 125 / 216 >

この作品をシェア

pagetop