獅子に戯れる兎のように
 品川駅から徒歩五分、ビルの一階に『木崎クリニック』の看板。看板には内科、循環器科と書かれていた。

「ここは……」

「私の父の経営するクリニックです。私も内科医として勤務しています。もう診療時間は終わっています。誰もいません。どうぞ」

「……でも」

 木崎はクリニックのドアに鍵を差し込む。

「私の職場を、雨宮さんに見て欲しいんです」

 木崎は鍵を開け、照明のスイッチを入れ私を招き入れた。

 白と淡いブルーを基調とした清潔感溢れる院内。個人病院ではあるが、沢山並ぶソファーの数から、患者数の多さが見てとれた。

「南原総合病院のように診療科も多くないですし、入院設備もありませんが、このクリニックを継ぎ、後生に残すのが私の務めだと思っています」

「木崎さん……。どうして私をここに」

「雨宮さんに私の信念を理解した上で、お付き合いして欲しいと思ったからです」

 木崎は私に待合室のソファーに座るように促す。

「クリニックの経営は両親に任せ、雨宮さんは家庭を守り、子供の教育に全力を注いでくれれば、それでいい。私の代でこのクリニックを終わらせるわけにはいかないから」

 木崎と結婚前提でお付き合いするということは、そういうことなのだと改めて実感する。

「子供の教育といっても、普通の家庭となんら変わりません。特別な教育をしろと言っているわけではありません。子供は親の背中を見て育つ。私のように自然と医師の道を選ぶものです」

 木崎は私の手を握った。

「改めて申し込みます。私と結婚前提で付き合って下さい」

 木崎と結婚し子供を生み、木崎クリニックの後継者を育てる。それがこの人と結婚するということ。

 クリニックのチャイムが音を鳴らす。ドンドンとドアを叩く音がした。
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