獅子に戯れる兎のように
 木崎は立ち上がり、ドアを開けた。
 ドアの外にはお婆さんをおぶった男性。

「木崎先生、夜分にすみません。クリニックの明かりが見えたので。今朝は嘔吐だけだったのですが、夜から下痢が止まらなくて」

「発熱は?」

「熱は微熱程度だけど、ぐったりしてて」

「わかりました。診察室にどうぞ。雨宮さん少しお待ち下さい」

「……はい」

 診察室のドアは二つ。
 手前の診察室に入り、木崎は暫く出て来なかった。

 スーツ姿の木崎しか知らない私は、木崎が医師であることを目の当たりにする。

 急性胃腸炎だったお婆さんは、一時間近く点滴を受け帰宅された。

「雨宮さん、本当に申し訳ない。遅くなりましたが、お食事にでも行きませんか」

「木崎さん、お疲れでは?」

「いえ、高齢の患者さんの容態が急変することはよくあることです。高熱もなく、意識もしっかりしていましたし、幸い大事には至りませんでした。点滴と投薬で回復するでしょう」

「そうですか。早くよくなられるといいですね」

 病院を出て数メートル、路地を入ったビルの一階に小料理屋があった。

「こんばんは。季久《きく》さん、席空いてる?」

 和服美人の女将さんが、木崎に笑顔を向ける。

「木崎先生いらっしゃい。あら、今夜は素敵な女性とご一緒なのね。木崎先生に恋人がいらしたなんて知りませんでしたわ」

 十席ほどのカウンター席。奥には個室がひとつ。カウンターはすでに満席だ。

「今夜は木崎先生が来られる気がして、個室を空けてお待ちしておりました。さぁどうぞ」

「相変わらずお上手だね」

 カウンターの上には大皿に盛られた数十種類のお惣菜。里芋と鶏肉の煮物やきんぴら、ひじき、お魚の煮付けなど日本酒に合いそうな惣菜がずらりと並んでいた。

 個室に入るとすぐに、女将さんは木崎に耳打ちした。

「美しいお嬢さんだこと。いつものお酒でいいのかしら?湯豆腐や魚の煮付けもすぐにお持ちしますね」
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