獅子に戯れる兎のように
「お料理は季久さんにお任せしますよ」

 木崎は病院で見せた医師の顔とは、また別の表情を浮かべた。

「こういうお店は苦手ですか?」

「いいえ、でも女子だけで来店することはないですね。学生の頃、人情味溢れる居酒屋さんで食べた焼き鳥を思い出しました」

「居酒屋さんですか。よく行くの?」

「いいえ、学生の頃家庭教師のアルバイトをしていて、そのお店の高校生を……」

 私……何を話しているんだろう。

 そんな話、木崎は聞きたくもないはずだし、私も思い出したくないのに。

 お店の雰囲気も、女将さんのタイプも、全然違うし、ただ……人情味溢れる優しい笑顔が、過去を思い出させただけ。

 女将さんは日本酒とお料理を数品テーブルに運んだ。どれもシンプルな家庭料理。

 木崎はフレンチやイタリアンが好きだと思っていたけど、こんな家庭料理が好きなんだね。

「季久さん、焼き鳥出せる?」

「焼き鳥ですか?木崎さんが焼き鳥だなんて珍しいですね。いいですよ。ねぎまでいいかしら?」

「木崎さん……。私そんなつもりで……」

「きっと懐かしい思い出があるんだよね。さっき幸せそうな顔してた」

 私が?
 幸せそうな顔?

 日向の両親が作る焼き鳥は、確かにぬくもりのある幸せな味がした。

「もっと雨宮さんのことを知りたい。いけませんか?」

「……いえ。私なんてつまらない女です」

「そんなことはないですよ。雨宮さんは魅力的な女性です」

 木崎は私のお猪口に日本酒を注いだ。ほんのり甘いお酒の味。きっと女性向けに口当たりのいいものを用意してくれたのだろう。

 然り気無い気遣いと、木崎の優しさに心が和んだ。
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