獅子に戯れる兎のように
「生理が一ヶ月以上こなくて、病院に行ったら……妊娠してるって……」

「留空、どうして望月さんに言わないのよ」

「私達、そういう関係になったのは二回だけ……。それなのに妊娠したなんて……。きっと望月さんは赤ちゃんなんて望んでいないと思う。……だから知らせないで手術しようと思ってる」

「留空……、そんな大切なことをどうして一人で決めるの」

「彼の重荷になりたくないし、妊娠を武器に結婚を迫りたくないの。だから陽乃や美空には言わないで。明日から連続休暇取ってるんだ。明日……手術の予約してるから」

「留空……本当にそれでいいの?望月さんも留空と真剣に交際してるんだよ」

「だからそうするの。私達にはもう少し時間が必要だから……」

 引っ込み思案でおとなしい性格の留空。留空の真剣な想いに胸が痛んだ。

「どこの病院?」

「新宿の坂城産婦人科病院。同意書は私が字を変えて書いて押印した」

「留空……」

「連続休暇の引き継ぎをしたら、早退するつもりだから、心配しないで。食堂には戻らないから、美空や陽乃には適当に言っといて」

「わかった。また電話するからね」

「……うん」

 留空はハンカチで口を押さえ、そのままトイレを出て行く。

 妊娠……手術……。
 望月が好きだから、手術すると決めた留空の心境を思うと、私は暫くトイレから出ることが出来なかった。

 食堂に戻ると、美空の姿はなく陽乃が一人で食後の珈琲を飲んでいた。

 留空の食器も私の食器も、すでに片付けられている。

「ごめん、柚葉。もう戻らないと思ったから片付けちゃった」

「別にいいよ。私も珈琲飲もうかな」

 食堂に珈琲ポットは備え付けられ、無料で利用することは出来る。

 珈琲でも飲んで気持ちを落ち着かせないと……。

 まるで自分が妊娠してしまったみたいに、私は動揺している。
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