獅子に戯れる兎のように
「私……無理していました。結婚に対する焦りも、心のどこかにあったのかもしれない。あなたとのことも……ずっと心に引っ掛かっていた」

「雨宮さん、俺……」

「私、寮を出ます。入社して五年も経っているのに、いつまでも寮を占領していては、新入社員が入寮出来ませんよね」

「俺が目障りなら、俺が寮を出ます」

「違うわ、そんなんじゃない」

「だったら、どうして……」

「……苦しいから。あなたの顔を見ていると苦しいから」

 どうしたんだろう。

 何故……こんな話を……。

 私、酔っているから……。

 明らかに平常心を失っている。

「それは……俺のことを異性として意識しているという意味ですか?」

「違うわ。違うって言ってるでしょう」

 否定しているのに、涙が溢れる。

「ごめんなさい……。私……悪酔いしたみたい。取り乱してる」

「俺こそすみません。でも……今夜は雨宮さんと一緒に過ごしたい」

「……日向さん」

「突然こんなことをいう男は嫌いですか?」

 大嫌いだと思っていた。
 迷惑だと思っていた。

 でも木崎に見捨てられた気がして、心が無性に寂しかった。どんな言い訳をしても、木崎にはもう信じてはもらえないだろう。

 虹原と別れ……
 木崎と別れ…………

 女としての……
 自信を失いかけていた。

「行こう」

 日向は立ち上がり私の手を取った。木崎に手を繋がれた時よりも、その手のぬくもりに違和感はなかった……。

 日向と私はホテルを出てタクシーに乗リ込む。向かった先は渋谷にあるラブホテルだった。

 木崎との夜を断ち切り、日向との夜を迎える私は、どうかしている。

 でも……
 日向の悲しい過去を知り、その寂しさに触れ、今夜は日向を放って帰れなかったのも事実だ。
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