獅子に戯れる兎のように
「陽乃の言う通りだよ。私、優柔不断で恋には臆病なの。だから木崎さんに誘われて行けなかった……」

「なるほどね。噂は本当なんだ。でも噂を否定するなら早い方がいいよ。慌てて寮から出るなんて、噂を認めたも同然だよ。真実を嘘にすればいいの」

 美空が身を乗り出す。

「だから噂って、何よ」

「美空、あとで教えてあげるから。食堂では騒がない」

 陽乃にたしなめられ、美空は口を尖らせる。

 ――その時だった……
 一人の男性が、私達に近付き立ち止まる。

「雨宮さん、ちょっといいですか?午後から第一会議室を使用したいのですが、鍵を紛失してしまったようで……。予備キーを貸していただきたいのですが……」

 陽乃が彼に視線を向けた。

「日向さん、それ始末書だね」

「すみません」

「会議は一時からだよね。わかった。すぐに予備キーを出します。みんなお先に。留空、無理しないでね。有給休暇はまだ沢山残ってるんだからね」

「ありがとう、柚葉」

 三人を残し、日向と食堂を出る。日向も私も無言で廊下を歩く。

 庶務課のデスクに戻り、会議室の予備キーを出す。時計を見ると十二時五十分。

「紛失したなら、始末書出してもらうことになるから」

「わかりました」

「会議資料はもうコピーしたの?お茶が必要なら、言って下さいね」

「ありがとうございます」

「もう時間ないでしょう。手伝います」

 会議室まで同行し、鍵を開け入室する。
 窓のブラインドを開け、テーブルや椅子の数を確認し設置する。

「机の配置はこれでいいの?あとは一人で準備出来るよね?」

「はい」

 エアコンのスイッチを入れ会議室を出ようとしたら、日向がスーツのポケットから鍵を取り出した。

「すみません。鍵、ありました」

「日向さん、嘘を……ついたの?」

「すみません。寮で顔を合わせることもなくなり、話が出来ないから。雨宮さん、寮を出るって本当なんですか」

「そうだよ。寮のお局様になりたくないからね」

 この場の空気を誤魔化すために、笑って答えた。
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