獅子に戯れる兎のように
「すみません」
「ごめん」

 二人の声が重なる。

「……もしかして、雨宮さん?」

 名前を呼ばれ、顔を隠していたビニール袋を下げる。

「お兄ちゃんありがとう」

 小さな男の子は彼の手からボールを受け取り、母親の元に走る。

「あっ、日向さん。こんなところで偶然ですね。ぜ、全然気が付かなかった」

「全然?」

「はい。《《全然》》」

 思いっきりシラを切ったが、日向は眉をひそめる。

「おーい、陽カラオケ行くぞ!麻紀《まき》や由亜《ゆあ》も呼んでるからさ」

「わかった」

 日向は友達に視線を向け、直ぐに私に視線を戻した。

「雨宮さんこんな場所でサンドイッチですか?その店、高層ビルの一階にある店ですよね」

「そ、そうよ。偶然通りかかったの。友達との待ち合わせまで時間があるから、気分転換に公園で食べてたの。もうひとつあるのよ。良かったら、日向さんもどうぞ」

 サンドイッチを掴み日向に差し出す。日向はそれを受け取り私を見つめた。

「陽、知り合いか?ほら、行くぞ!」

「わかった。すぐ行くよ」

「早く行けば?友達待ってるよ」

「サンドイッチありがとうございます。この店のサンドイッチ、お袋が好きだったんだ」

 日向は私に背を向け立ち去る。

「陽、誰だよ。お前、年上と付き合ってんの?」

「ちげぇよ。職場の先輩だよ」

「へぇ。いい女じゃん。紹介しろよ」

「しねぇよ、ほら行こうぜ」

 ぞろぞろと公園を出て行く彼ら。私は職場の先輩。しかも、年上。そこが一番のショック。

 日向陽はあの居酒屋の息子に違いない。でも彼は私が家庭教師として訪問したことは、もう《《忘れて》》いるんだ。

 過剰反応していたのは私。
 彼にとって私は、記憶にも残らない存在だった。

 その衝撃的な事実に、私は呆然としている。
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