乳房星(たらちねぼし)・ドラマノベル版
【銀河伝説・その2】
(ゴーーーーーッ!!ドザー!!)
午前9時過ぎに、四国地方が風速50ノット(25メートル)以上の暴風域に巻き込まれた。
西日本一帯で、一部家屋が倒壊するレベルの暴風が吹き荒れた。
100ミリ超の豪雨がヨウシャなく降り続いた。
今治市は、危険な状態におちいった。
施設で暮らしているおかあさまと子どもたちと施設で暮らしていた男の子たちのご家族と女の子たち(シングルマザー・おひとりさま)は、今治国際ホテルに避難した。
しかし、まだかーくんの家の家族が避難していない…
今治市中心部に避難に関する情報はないが、危険な状態におちいったことに変わりはない…
その頃、私とミンジュンさんとウェンビンさんの3人は、トルコ東部の難民キャンプで救護活動をしていた。
日増しに重症患者の数が増えて行く…
防護服と防護マスクをつけて救護活動にあたっているけど、身体がギュウギュウにしめつけられて苦しい…
だけど、装備しないと私とミンジュンさんとウェンビンさんが感染する…
その上にもう一つ、厄介なことがあった。
「ヤバイ!!ミンジュンさん!!ウェンビンさん!!伏せろ!!」
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、他の医療スタッフさんたちと一緒に地べたに伏せた。
次の瞬間…
(ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!!)
遠くで砲声が聞こえた。
救護活動中に、ゲリラ攻撃が発生した。
シリア側から聞こえた砲声かどうか分からないが、9月30日明け方からヒンパンに聞こえていた。
そのたびに救護活動が中断した。
その間に、シリアから逃れた避難民たちがトルコ側へなだれ込んだ。
たいへんだ!!
避難民たちがトルコ側へなだれ込んだことが原因で、救護活動ができなくなる…
どないしたらええねん…
(ゴーーーーーッ!!ゴーーーーーッ!!)
その頃、日本は猛烈台風によって壊滅する危機にひんした。
午後1時過ぎに、東海地方の一部が風速50ノット以上の暴風域に入った。
たつろうさんの実家がある地区に土砂災害警戒情報と避難指示が発令された。
ジョーくんの家族たちと地区の人たちは、前もって近くの公民館へ避難した。
志津香一彦夫婦は、すぐに家から出た。
しかし、和子は家に残った。
ゆりこは、必死になって和子に避難しようと言うた。
和子は拒否した。
その間に、状況が悪化した。
この時、家から700メートル先で土砂崩れが発生した。
たつろうさんの実家の近辺も、地すべりが発生する恐れが出た。
午後3時頃、台風の中心が室戸岬沖に到達した。
四国の太平洋側の沿岸で140ノットの暴風が吹き荒れた。
同時に、15メートル超の高波が沿岸に押し寄せた。
その頃であった。
トルコ東部の難民キャンプで暴動が発生する危機にひんした。
避難民たちの不安が一気に高まったので、きわめて危険な状態におちいった。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、上からテッシュウ命令が出たので、退避することになった。
上の人が『走れ!!』と叫んだ。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、防護服と防護マスクを装備したままヘリポートへ走った。
必死に走った末に、3人はヘリポートにたどり着いた。
その後、特大輸送ヘリコプターの中にある殺菌室に入って防具の除菌を行った。
防具を外したあと、3人はテッシュウ準備に取りかかった。
急げ…
早くしないと…
暴動に巻き込まれてしまう…
私とミンジュンさんとウェンビンさんがテッシュウ準備を進めている時であった。
(ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!)
3時半頃、ダム放流警報のスピーカーからより強烈なブザーが鳴り響いた。
玉川ダムで緊急放流を行うことによるブザー音だ!!
玉川ダムの貯水量が限度を超える恐れが出た。
(ドドドドドドドドドドドドドドドド!!ドザーッ!!)
ダムのゲートが開いた。
同時に大容量の泥水が流木と一緒に放出された。
蒼社川が大容量の泥水でまけそうになった。
かーくんの家の近辺が危なくなった。
玉川ダムの緊急放流による増水と近くを流れるドブ川がまける(あふれる)恐れが出たので、かーくんの家がある校区に避難勧告が出た。
「(子供たち)!!避難勧告が出たわよ!!」
かーくんの家の中で、奥さまの叫び声が響いた。
かーくんの子供たちが、大事なものを持って家から出る。
それから2分後、かーくんの家族たちが車に乗って出発した。
行き先は、今治国際ホテルである。
その頃であった。
(ダダダダダダダダダダ!!)
難民キャンプで暴動が発生した。
暴動を鎮圧するために軍が介入したので、戦闘に発展した。
ヘリポートでは、テッシュウする医療スタッフさんたちが次々と特大輸送ヘリコプターに乗り込む。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、ヘリコプターの中で出発を待っていた。
早く脱出したいけど、医療スタッフさんたちが全員乗っていないので出発できない…
はよ脱出したい…
せやけど、医療スタッフさんたちが全員そろっていないので出発できない…
どないせえ言うねん…
夕方4時頃、かーくんの家族が今治国際ホテルに着いた。
施設で暮らしていた男の子たちの家族全員と女の子たち(シングルマザー・おひとりさま)の無事が確認された。
ヨリイさんは、電話で私に呼びかけた。
「よーくんたいへんよ!!玉川ダムで緊急放流が始まったけん、蒼社川が危なくなったのよ!!…トルコ…なんでトルコにいるのよ!!」
輸送ヘリコプターにて…
私は、ヘリの電話機でヨリイさんと話しをしていた。
「ヨリイさん!!こっちも死の危険にさらされているのだよ!!救護活動中に避難民たちに暴動が発生したけんテッシュウ命令が出たけん緊迫しとんや!!医療スタッフさんたちが全員そろわんけん出発できんのや!!」
この時、上の人が出発せよと言うたのでヘリコプターが上昇した。
その時、遅れて来た医療スタッフさんふたりが飛び乗った。
私とウェンビンさんが十人の医療スタッフさんたちと一緒に飛び乗った医療スタッフさんたちを引き上げる。
ひとりは乗れた。
しかし、もうひとりは軍が発砲した銃で撃たれて落ちた。
たいへんだ!!
医療スタッフさんひとりが軍が発砲した銃で撃たれた。
事態がキンパクしている中で、受話器ごしにいるヨリイさんが私を呼んでいた。
『よーくん!!蒼社川があふれ出したわよ!!どこかで浸水が起こったわよ!!』
私は、離陸するヘリコプターから乗り遅れたスタッフさんに声をかけ続けた。
スタッフさんは『オレはいいから、早く!!』と叫んでいた。
「なに言うとんぞ!!お前が死んだら、残された家族たちはどないすんねん!!はよ飛び乗れ!!」
私は、乗り遅れた医療スタッフさんに飛び乗れと叫び続けた。
しかし…
(ダダダダダダダダダダ!!)
乗り遅れた医療スタッフさんが私の目の前で撃たれた。
「オーイ!!どないしたんぞ!!」
「ヨシタカさん危ない!!中へ入って!!」
「死ぬな!!死ぬな!!」
私のさけびもむなしく、乗り遅れた医療スタッフさんひとりが犠牲になった。
私は、ヘリコプターに乗り込んだあと深い悲しみに沈んだ。
なんで…
なんでこなな目にあわなアカンねん…
なんで、最愛の家族をのこして死んだ…
私たちは…
どうすることもできなかった…
どないせえ言うねん…
どないせえ言うねん…
夕方5時半頃、台風24号が和歌山県田辺市に上陸した。
最大風速140ノットを維持したまま紀伊半島に上陸した台風は、東海道メガロポリスへ向かって突き進んだ。
この時、和歌山県南部・奈良県南部・東海地方・関東甲信地方から北日本の太平洋側一帯に大雨暴風の特別警報、和歌山県南部・東海地方から関東・北日本の太平洋沿岸に波浪と高潮の特別警報が発令された。
同時に、名古屋・静岡・浜松と首都圏で大パニックが発生した。
たつろうさんの実家がある地区で、大規模な土砂崩れが発生した。
大容量の土砂が、地区一帯をのみ込んだ。
たつろうさんの実家も押しつぶされた。
和子は、大容量の土砂に埋もれて亡くなった。
その頃、伊勢湾で大規模な高潮が発生した。
この時、ジョーくんは弥富の国道1号線沿いのラブホに女と一緒にいた。
ジョーくんは、高潮で倒壊した建物ごと伊勢湾に流されて亡くなった。
その頃、ゆりこは猛烈な暴風の中を逃げ回っていた。
この時、状況は刻一刻悪化した。
(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…)
遠くで地鳴りが聞こえた。
こわい…
こわい…
よーくん助けて…
その時であった。
(ドサーッ!!)
大規模な地すべりが発生した。
「ギャー!!よーくん!!」
ゆりこは、足元で発生した地すべりによって海に落ちて沈んだ。
(ドボーン!!ブクブク…)
海に落ちて沈んだゆりこは、高波にのまれて亡くなった。
志津香一彦夫婦も、避難する途中で亡くなった。
今治市中心部で目立った被害はなかった。
施設で暮らしていたコたちも無事であった。
男の子たちの家も無事であった。
しかし、東日本と北日本の太平洋側で甚大な被害が出た。
台風24号は、仙台平野から海を出たあとアリューシャン付近で温帯低気圧に変わった。
カッパドキアに帰還した私とミンジュンさんとウェンビンさんは、空港の検疫所で15日間カクリされた。
10月16日に異常なしの診断が出たので外へ出ることができた。
その間、私の身体はボロボロに傷ついてやつれた。
クリスマス休暇までに、桜子たちとアンナがいるオルドに帰りたい…
帰りたい…
午前9時過ぎに、四国地方が風速50ノット(25メートル)以上の暴風域に巻き込まれた。
西日本一帯で、一部家屋が倒壊するレベルの暴風が吹き荒れた。
100ミリ超の豪雨がヨウシャなく降り続いた。
今治市は、危険な状態におちいった。
施設で暮らしているおかあさまと子どもたちと施設で暮らしていた男の子たちのご家族と女の子たち(シングルマザー・おひとりさま)は、今治国際ホテルに避難した。
しかし、まだかーくんの家の家族が避難していない…
今治市中心部に避難に関する情報はないが、危険な状態におちいったことに変わりはない…
その頃、私とミンジュンさんとウェンビンさんの3人は、トルコ東部の難民キャンプで救護活動をしていた。
日増しに重症患者の数が増えて行く…
防護服と防護マスクをつけて救護活動にあたっているけど、身体がギュウギュウにしめつけられて苦しい…
だけど、装備しないと私とミンジュンさんとウェンビンさんが感染する…
その上にもう一つ、厄介なことがあった。
「ヤバイ!!ミンジュンさん!!ウェンビンさん!!伏せろ!!」
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、他の医療スタッフさんたちと一緒に地べたに伏せた。
次の瞬間…
(ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!!)
遠くで砲声が聞こえた。
救護活動中に、ゲリラ攻撃が発生した。
シリア側から聞こえた砲声かどうか分からないが、9月30日明け方からヒンパンに聞こえていた。
そのたびに救護活動が中断した。
その間に、シリアから逃れた避難民たちがトルコ側へなだれ込んだ。
たいへんだ!!
避難民たちがトルコ側へなだれ込んだことが原因で、救護活動ができなくなる…
どないしたらええねん…
(ゴーーーーーッ!!ゴーーーーーッ!!)
その頃、日本は猛烈台風によって壊滅する危機にひんした。
午後1時過ぎに、東海地方の一部が風速50ノット以上の暴風域に入った。
たつろうさんの実家がある地区に土砂災害警戒情報と避難指示が発令された。
ジョーくんの家族たちと地区の人たちは、前もって近くの公民館へ避難した。
志津香一彦夫婦は、すぐに家から出た。
しかし、和子は家に残った。
ゆりこは、必死になって和子に避難しようと言うた。
和子は拒否した。
その間に、状況が悪化した。
この時、家から700メートル先で土砂崩れが発生した。
たつろうさんの実家の近辺も、地すべりが発生する恐れが出た。
午後3時頃、台風の中心が室戸岬沖に到達した。
四国の太平洋側の沿岸で140ノットの暴風が吹き荒れた。
同時に、15メートル超の高波が沿岸に押し寄せた。
その頃であった。
トルコ東部の難民キャンプで暴動が発生する危機にひんした。
避難民たちの不安が一気に高まったので、きわめて危険な状態におちいった。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、上からテッシュウ命令が出たので、退避することになった。
上の人が『走れ!!』と叫んだ。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、防護服と防護マスクを装備したままヘリポートへ走った。
必死に走った末に、3人はヘリポートにたどり着いた。
その後、特大輸送ヘリコプターの中にある殺菌室に入って防具の除菌を行った。
防具を外したあと、3人はテッシュウ準備に取りかかった。
急げ…
早くしないと…
暴動に巻き込まれてしまう…
私とミンジュンさんとウェンビンさんがテッシュウ準備を進めている時であった。
(ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!ブーーーーーーーーーー!!)
3時半頃、ダム放流警報のスピーカーからより強烈なブザーが鳴り響いた。
玉川ダムで緊急放流を行うことによるブザー音だ!!
玉川ダムの貯水量が限度を超える恐れが出た。
(ドドドドドドドドドドドドドドドド!!ドザーッ!!)
ダムのゲートが開いた。
同時に大容量の泥水が流木と一緒に放出された。
蒼社川が大容量の泥水でまけそうになった。
かーくんの家の近辺が危なくなった。
玉川ダムの緊急放流による増水と近くを流れるドブ川がまける(あふれる)恐れが出たので、かーくんの家がある校区に避難勧告が出た。
「(子供たち)!!避難勧告が出たわよ!!」
かーくんの家の中で、奥さまの叫び声が響いた。
かーくんの子供たちが、大事なものを持って家から出る。
それから2分後、かーくんの家族たちが車に乗って出発した。
行き先は、今治国際ホテルである。
その頃であった。
(ダダダダダダダダダダ!!)
難民キャンプで暴動が発生した。
暴動を鎮圧するために軍が介入したので、戦闘に発展した。
ヘリポートでは、テッシュウする医療スタッフさんたちが次々と特大輸送ヘリコプターに乗り込む。
私とミンジュンさんとウェンビンさんは、ヘリコプターの中で出発を待っていた。
早く脱出したいけど、医療スタッフさんたちが全員乗っていないので出発できない…
はよ脱出したい…
せやけど、医療スタッフさんたちが全員そろっていないので出発できない…
どないせえ言うねん…
夕方4時頃、かーくんの家族が今治国際ホテルに着いた。
施設で暮らしていた男の子たちの家族全員と女の子たち(シングルマザー・おひとりさま)の無事が確認された。
ヨリイさんは、電話で私に呼びかけた。
「よーくんたいへんよ!!玉川ダムで緊急放流が始まったけん、蒼社川が危なくなったのよ!!…トルコ…なんでトルコにいるのよ!!」
輸送ヘリコプターにて…
私は、ヘリの電話機でヨリイさんと話しをしていた。
「ヨリイさん!!こっちも死の危険にさらされているのだよ!!救護活動中に避難民たちに暴動が発生したけんテッシュウ命令が出たけん緊迫しとんや!!医療スタッフさんたちが全員そろわんけん出発できんのや!!」
この時、上の人が出発せよと言うたのでヘリコプターが上昇した。
その時、遅れて来た医療スタッフさんふたりが飛び乗った。
私とウェンビンさんが十人の医療スタッフさんたちと一緒に飛び乗った医療スタッフさんたちを引き上げる。
ひとりは乗れた。
しかし、もうひとりは軍が発砲した銃で撃たれて落ちた。
たいへんだ!!
医療スタッフさんひとりが軍が発砲した銃で撃たれた。
事態がキンパクしている中で、受話器ごしにいるヨリイさんが私を呼んでいた。
『よーくん!!蒼社川があふれ出したわよ!!どこかで浸水が起こったわよ!!』
私は、離陸するヘリコプターから乗り遅れたスタッフさんに声をかけ続けた。
スタッフさんは『オレはいいから、早く!!』と叫んでいた。
「なに言うとんぞ!!お前が死んだら、残された家族たちはどないすんねん!!はよ飛び乗れ!!」
私は、乗り遅れた医療スタッフさんに飛び乗れと叫び続けた。
しかし…
(ダダダダダダダダダダ!!)
乗り遅れた医療スタッフさんが私の目の前で撃たれた。
「オーイ!!どないしたんぞ!!」
「ヨシタカさん危ない!!中へ入って!!」
「死ぬな!!死ぬな!!」
私のさけびもむなしく、乗り遅れた医療スタッフさんひとりが犠牲になった。
私は、ヘリコプターに乗り込んだあと深い悲しみに沈んだ。
なんで…
なんでこなな目にあわなアカンねん…
なんで、最愛の家族をのこして死んだ…
私たちは…
どうすることもできなかった…
どないせえ言うねん…
どないせえ言うねん…
夕方5時半頃、台風24号が和歌山県田辺市に上陸した。
最大風速140ノットを維持したまま紀伊半島に上陸した台風は、東海道メガロポリスへ向かって突き進んだ。
この時、和歌山県南部・奈良県南部・東海地方・関東甲信地方から北日本の太平洋側一帯に大雨暴風の特別警報、和歌山県南部・東海地方から関東・北日本の太平洋沿岸に波浪と高潮の特別警報が発令された。
同時に、名古屋・静岡・浜松と首都圏で大パニックが発生した。
たつろうさんの実家がある地区で、大規模な土砂崩れが発生した。
大容量の土砂が、地区一帯をのみ込んだ。
たつろうさんの実家も押しつぶされた。
和子は、大容量の土砂に埋もれて亡くなった。
その頃、伊勢湾で大規模な高潮が発生した。
この時、ジョーくんは弥富の国道1号線沿いのラブホに女と一緒にいた。
ジョーくんは、高潮で倒壊した建物ごと伊勢湾に流されて亡くなった。
その頃、ゆりこは猛烈な暴風の中を逃げ回っていた。
この時、状況は刻一刻悪化した。
(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…)
遠くで地鳴りが聞こえた。
こわい…
こわい…
よーくん助けて…
その時であった。
(ドサーッ!!)
大規模な地すべりが発生した。
「ギャー!!よーくん!!」
ゆりこは、足元で発生した地すべりによって海に落ちて沈んだ。
(ドボーン!!ブクブク…)
海に落ちて沈んだゆりこは、高波にのまれて亡くなった。
志津香一彦夫婦も、避難する途中で亡くなった。
今治市中心部で目立った被害はなかった。
施設で暮らしていたコたちも無事であった。
男の子たちの家も無事であった。
しかし、東日本と北日本の太平洋側で甚大な被害が出た。
台風24号は、仙台平野から海を出たあとアリューシャン付近で温帯低気圧に変わった。
カッパドキアに帰還した私とミンジュンさんとウェンビンさんは、空港の検疫所で15日間カクリされた。
10月16日に異常なしの診断が出たので外へ出ることができた。
その間、私の身体はボロボロに傷ついてやつれた。
クリスマス休暇までに、桜子たちとアンナがいるオルドに帰りたい…
帰りたい…