乳房星(たらちねぼし)・ドラマノベル版
最終回スペシャル・後編

【男の挽歌】

時は1989年1月17日頃だった。

溝端屋のダンナたちにナンキンされている私は、知覧(鹿児島県南九州市)にある溝端屋のダンナが所有している別荘に滞在していた。

太平洋戦争中に日本軍が特攻隊の前線基地として使っていた町…

歌川二三子(うたがわふみこ)さんの歌『知覧の母』や加納ひろしさんの歌『三郎蛍』などで登場する小さな町である。

正午過ぎに、私は子分たち3人に連れられて町にある平和記念公園へ来ていた。

園内をゆっくりと散歩して過ごしていたが、子分たちに監視されていたので逃げ出すことができん…

ナンキンがとけたら、一刻も早く日本から出国しよう…

韓国にいるマァマに会いたい…

アメリカ合衆国のハイスクールへ行きたい…

私の気持ちは、ひどくあせっていた。

(ピッ、ピッ、ピッ…)

その頃であった。

ところ変わって、ばらいろ町にある大学病院の児童精神科医にて…

温品くんは、両親に連れられて大学病院の児童精神科医へ来ていた。

この時、温品くんは検査室で脳波の検査を受けていた。

他にも、複数の精神鑑定を受けた。

温品くん本人は『なんでぼくがこななことせなアカンねん…』とつらそうな表情を浮かべていた。

温品くんの両親は、なんとしてでも退学を回避するためにヤッキになっていて、気持ちのゆとりがなかった。

温品くんの精神状態をしりたいのは誰なのか?

学年主任の先生?

オクギョの理事長?

それとも、オクギョの理事長の知人の(ヤクザの)顧問弁護士?

この中でしりたいのは誰なのか…

その2日後、温品くんの両親は学校に温品くんの検査結果の書類を提出した。

1月21日頃、学校側は温品くんの気持ちをくみ取って1月25日にキンシンを解除することを決めた。

しかし、温品くんはものすごく怒り狂っていたので、より過激な行動に出た。

1月21日の午後1時過ぎのことであった。

温品くんは、家の前に停めてあるリヤカーに自分の物を積み込んでいた。

ふざけんなよ…

ぼくは退学を回避してくれだなんてひと言も言うていない…

ものすごく怒り狂っていた温品くんは、自分の物を積み込んだリヤカーをひいて家から出て行った。

同時にゆめいろ市から出て行った。

そして、二度と帰らなくなった。

その日の夜8時50分ごろであった。

ところ変わって、鹿児島市天文館通りにあるかっぽう旅館にて…

旅館の大広間には、溝端屋のダンナと田嶋組長と山岡と小林の4人と溝端屋と取り引きしている南予と中予の取引会社の社長30人が宴会を楽しんでいた。

和服姿の芸妓はんたち4人は、愛媛県のお座敷歌『伊予万才』を演奏していた。

この時であった。

田嶋の子分が小林のもとに来て、耳打ちで伝言をした。

「ああ、さよか…」

小林は、溝端屋のダンナたちに子分からの伝言を伝えた。

その後、溝端屋のダンナたちは宴会場を出てダンナが泊まる部屋へ移動した。

ところ変わって、溝端屋のダンナが滞在している部屋にて…

部屋の中に、ヤキソバヘアでももけた腹巻き姿の溝端屋の番頭はんがいた。

ほどなくして、溝端屋のダンナたち4人が部屋に入った。

「竹宮。」
「ただいま帰ってめいりやした。」
「ご苦労だったな…」

このあと、5人による密談を始めた。

番頭はんは、ことの次第を4人に報告した。

溝端屋のダンナは、報告を受けたあと番頭はんに言うた。

「ご苦労だったな…温品のクソガキはシンシンソウシツでおとがめなしと言うことで退学は回避されたと言うことか…」

小林は、怒った声で言うた。

「あのオクギョ理事長は、どこのどこまできたないやつだ!?」
「ああ、そのようだな…」

溝端屋のダンナは、奥の手を使うぞと組長たちに言うた。

「こうなれば、学園をのっとろう!!」
「学園をのっとるって…ダンナ、それ正気でおますか!?」

小林の問いに対して、溝端屋のダンナはこう答えた。

「あの学園には、ソーチョーが不在なんや…せやけん、今がチャンスや!!」

それを聞いた山岡は、溝端屋のダンナに兄を学園に送り込ませてソーチョーにさせると言うた。

山岡の兄は、六代目長州組の組長の山岡重朝(しげとも)であった。

田嶋組長たち全員の意見が一致した。

溝端屋のダンナたちは、このあとより過激な行動に踏み切った。
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