乳房星(たらちねぼし)・ドラマノベル版

【そして、神戸】

私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、1971年11月30日に多民族多国籍の男性として生まれた…

名前は日本人に近いけど、日本国籍を保有していない…

東洋系の顔つきだけど、中国・台湾・韓国・北朝鮮の国籍もないなど…ものすごく複雑な事情を抱えている。

私が生まれたあと、初乳(さいしょのおちち)は与えられたが、その直後に実母と引き裂かれた。

1971年の12月18日に、実母は病気で亡くなった。

実母と引き裂かれた私は、施設長さんたちと一緒に四国・波止浜の母子保護施設へ移った。

私は、母子保護施設の施設長さんに育てられた。

時は流れて…1987年10月…

15の私は、あてのないひとり旅に出た。

(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)

時は、10月3日の午後3時過ぎのことであった。

15の私は、大阪行きの特急雷鳥に乗っていた。

1978年9月にアメリカ合衆国の寄宿制の6年制の小学校に入学~1984年夏に卒業~同年9月に2年制の寄宿制の中学に進学~1986年夏ごろ卒業~同年9月に4年制の寄宿制のハイスクールに進学…

4年制の1年生まで修了したので、この時私は4年制の2年生であった。

9年間在籍していた寄宿制の学校は、勉強第一主義の学校である。

そこの学園長が『体育祭や文化祭などの学校行事は、勉強の妨げになるから絶対アカン…』とほざいとったけん、学校行事なんか全くない。

体育祭?

文化祭?

クラブ活動?

プロム?

ハァ?

何それ…

現地の小・中学校の児童生徒は、勉強について行けん子は落第する。

だから私は、必死になって勉強した。

学校の勉強と仕事に必要な資格を取得するだけの学校生活…

ロングバケーション中も校外学習・職場体験などの勉強中心であった。

なので、楽しい思い出なんてあるわけない。

テストで学年1位になって、みんなからソンケイされるためにガマンした。

仕事に必要な資格を大量に取得して優位になるためにガマンした。

優等生になれば、好きな彼女ができると信じてガマンしとおした。

せやけど、そのように行かなんだ。

どんなにガマンして勉強に打ち込んでも、思う通りにならない。

そのように思ったのは、4年制ハイスクールの1年生の後期辺りだったと思う。

オレ…

来るところを間違えたと思う。

1年生が修了した時に、卒業生の両親が私のもとへやって来てあつかましい口調でこう言うた。

『せっかく高校に行きよんのに、勉強第一主義で通して行くのはつまらんとおもわんのか…』

1987年9月に、卒業生の両親のいいなりになって日本のゆめいろ市(空想の学園都市)にある公立高校に転校した。

『高校に行ってる間くらい楽しい思い出を作ってこい。』と卒業生の両親があつかましくいよるけん、ショーコトなしに転校した。

せやけん、やめたったわ…

同じ高校に通う女子生徒の家に住み込みで公立高校に通った。

女子生徒の家は、祖父母さまと両親と女子生徒の5人家族…

そこにもひとり、ツッパリ風の少年(その子も親きょうだいがいてへん子だった)が住み込みで暮らしていた。

年ごろの女の子の家に、年ごろの男の子ふたりが同じ屋根の下で暮らすことなんかけしからんと私は思う。

なんでこななモラルハザードを犯すのか?

そななことばかり私は思った。

1987年9月の終わり頃、その女子生徒が妊娠した。

私がそこへ来る2ヶ月ほど前に、女子生徒がレイプの被害を受けたことによる妊娠である。

その時、激怒した女子生徒の父親がツッパリ風の少年が犯したと決めつけてボコボコにどつき回しながらこななこと抜かしよった。

オドレは何しに高校に行きよんぞ!!

高校生の本分は、学校から与えられたカリキュラム通りに勉強することだ!!

テストで学年1位になることが本分だ!!

高校生の恋愛なんてナマクラのすることだ!!

オレはガマンしてガマンしてガマンしてガマンしてガマンしてガマンして…ガマンしてきたのだぞ!!

勉強せえ勉強せえ勉強せえ勉強せえ勉強せえ勉強せえ勉強せえ勉強せえ…

学年1位学年1位学年1位学年1位学年1位学年1位学年1位学年1位…

東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大東大…

オレはトーダイをトップの成績で卒業して、一流企業にシューショクして、ドーキを蹴散らしてトップで部長にショーシンしたのだぞ!!

オレが取締役になれんかったら、その時は(ツッパリ風の少年)のせいだ!!

そのようにおらび回った女子生徒の父親は、家中を暴れ回ったあと祖父母さまにきつい暴力を加えた。

ほんで、私がいる部屋のドアをけとばしながらわけのわからへんことをほざきよった。

そして、付近を通りかかった若者のグループと血みどろの乱闘を繰り広げた。

私は、女子生徒の祖父母さまに『出て行けと言うのであれば出てゆくわ!!』とタンカ切って家出したった。

それと同時に、学校をすてたった。

10月1日の夜、私は必要最低限の品物を詰めたボストンバッグを持って家出したあと、ひと晩かけてとなり町のJRの駅へ向かった。

10月2日の朝、複数の路線の列車を乗り継いで新潟駅へ向かった。

10月3日の昼前に新潟駅に到着した。

そして、昼過ぎに大阪行きの特急雷鳥に乗り換えた。

私は、ぼんやりとした表情で窓に写る沿線の風景を見つめながらウォークマンで歌を聴いている。

イヤホンから流れている歌は、カセットテープに吹き込んだ作曲家浜圭介先生が作曲した歌の全曲集に収録されている歌である。

『終着駅』『折鶴』『雨』『石狩挽歌』『舟唄』『雨の慕情』『哀しみ本線日本海』『すずめの涙』『大阪暮色』『そして、神戸』…

越中宮崎のヒスイ海岸・富山の中心部・金沢の中心部・越前海岸・福井の中心部・敦賀の中心部・びわ湖…

窓に写る風景をながめながら歌を聴いている私は、何を想っていたのか…

夜7時前に、私が乗っている列車が大阪駅に着いた。

列車を降りた私は、阪神梅田駅へ向かった。

(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)

時は、夜7時50分ごろであった。

私は、阪神本線の各駅停車の電車に乗り換えて旅を続けた。

窓に写る夜の沿線の風景をぼんやりと見つめながら、私は何を想っていたのか?
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