溺愛は蜜夜に始まる~御曹司と仮初め情欲婚~
その場に居合わせた従業員たちは一様に目を丸くし『うそ……やだ』という女性たちからの悲痛なささやきも耳に届く。

「だから一緒に出勤するのは嫌だったんです……」

梨乃は誰とも目が合わないようひたすら頭を下げ、体を小さくした。
従業員用の出入り口ではなく客用の正面玄関から入るだけでも周囲の目が気になるというのに、梨乃の手を引いているのは次期副社長と目されている侑斗だ。
おまけに婚約などと口にして誇らしげに笑っていて、注目するなというのが無理な話だ。
ちらりと辺りを見ると、従業員たちが好奇心丸出しでふたりを眺めている。

「はあ……っ」

侑斗相手にさすがにその場で声をかける者はいなかったが、写真を拡散したという経理部の女性をはじめ従業員の中には侑斗を気に入っていると公言する女性も少なくない。
梨乃は今日一日をどう過ごせばいいのだろうかと肩を落とした。
そんな梨乃の様子に気づいているはずの侑斗は、梨乃との距離をさらに詰めた。

「帰りは遅くなりそうだから、先に帰ってろ」

決して小さくない侑斗の声に、周囲がざわめいた。
これで決定的だ。
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