アフター5はメガネをはずして
(よし……今なら誰もいない……!)
昼休み、私はプリンターの周囲が無人であることを確認すると、素早くアプリケーションソフトの印刷ボタンをクリックした。
今朝、副業の許可申請に必要な規定の書類を社内サーバーからダウンロードしてからというもの、ずっとプリントアウトの機会を窺っていたのだ。
使用していない時は節電のため、待機状態になっているプリンター。
それが私の指示を受けて、のろのろと起動し始める。
蓄積データランプが点滅する頃を見計らって、私はそそくさと機械の前に陣取り、出てくる書類を今か今かと待ち構えた。
出した書類を、他の人に見られるのだけは御免だ。
できるだけ秘密裏に事を進めたい。
必要最低限の人にだけ連絡をして、あとは穏便に、なるべく平和に、今まで通り何食わぬ顔で会社では勤務を続けたかった。
ひとまず、第一関門はクリアだ。
(次なる試練は……)
ちらりと視線を向けた先にあるのは、整理整頓された課長のデスク。
(アルバイトは基本的に許可するって方針みたいだけど、さすがに水商売はアウトな気がするんだよね……)
温まったプリンターが書類を吐き出すのをぼんやりと見つめながら、私は許可が下りなかった最悪のシチュエーションを想像する。
「こんな副業、認められると思っているのか!」
しーんと静まり返ったオフィスに、轟く罵声。
「社内のコミュニケーションすら満足に取れないお前が、接客業など勤まるはずがないだろう!」
眉間に深いシワを寄せ、呆れた表情で私に説教をする来栖課長の姿がありありと目に浮かぶ。
(あ……やばい、泣きそう)
「しかも銀座のクラブだと? 正気か? ひょっとして新手の詐欺かなんかじゃないのか?」
聞き耳を立てていた先輩や同僚が、ハッと表情を硬くするところまで容易にイメージできてしまう。
「あの子、銀座のクラブでバイトする気なんだって!」
「まさか……! あの地味子が?」
「ちょっと、何かの間違いなんじゃないの?」
みんなの心の声までも、ありありと想像できる。
「お前のような何の取り柄もない女に、高級クラブのホステスなんて務まると思っているのか!?」
そして脳内の来須課長に、とどめの一発をお見舞いされる。
「……はあ」
(こんなこと言われたら、もう出社できない……)
プリンターの前でがっくりと項垂れていると、突然背後から肩を叩かれた。
「―――ねえ、大丈夫?」
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