アフター5はメガネをはずして
「っ!」
ビクッと驚いて振り向くと、爽やかな笑みをたたえた小柳さんが、私のすぐ真後ろに立っていた。
「こ、ここ、こ、小柳さん……!?」
我ながらテンパりすぎだと思うが、異性と話す時はいつもこんな感じになってしまう。
相手が自分よりもうんと年上だったり、ひと回りくらい年下だったりすれば、気は使うもののまだまともに会話ができる。
でも会社にいる異性とは、年の近さや立場の差があるせいか、ほとんどまともに話せない。
噛むのは当たり前、「話そう」と思うだけで緊張してしまい、カーッと顔が赤くなるのがお決まりだった。
「書類、印刷終わってるみたいだけど?」
しかし、挙動不審極まりない私に対しても、小柳さんは優しい。
さっとプリンターに手を伸ばし、プリントアウトした書類を私に手渡してくれる。
「あ、あ、ありがとう、ございます……!」
私は恥ずかしさと嬉しさがごちゃまぜになり、しっかりと受け取る前に、勢いよくお辞儀をしてしまった。
「あっ……」
目の前で”兼業許可申請書”と書かれた紙が、ハラハラと舞っている。
(なんてこと……!)
受け取り損ねた書類は、あろう事か小柳さんの足元に、文字面を表にしてハラリと着地した。
自然な動作で彼が書類を拾い上げる。
まさかこの段階で「それは私のプリントアウトではありません」なんて言い訳は、到底通用しないだろう。
「お、副業、始めるの?」
おそらく小柳さんにとっては、何の他意もない、普段通りの日常会話の一環に違いない。
でも、私にとっては今年最大と呼んでもいいレベルの一大事件だ。
(まさか一対一で、彼と話すことになるなんて……!)
「は、はい……」
穴があったら今すぐ潜り込みたい心境で、何とか返事をする。
「そうなんだ。頑張ってね!」
私は腹をくくって、小柳さんが差し出した書類を受け取った。
「ひ、拾っていただいてありがとうございます!」
お礼の言葉もそこそこに、そのまま自分のデスクへとそそくさ逃げ帰る。
(信じられない! せっかく話せたのに、なんでこんな……!)
昨日に引き続き、今日も厄日なのかもしれない。
時間を巻き戻せるなら、数十分前にタイムスリップして、ぼーっとしていた私に蹴りを入れたい気持ちでいっぱいだ。
デスクトップに流れるスクリーンセーバーには、もうすぐ昼休みが終わる時刻が表示されている。
急いで書類を書き上げなければ、あかりさんのお店で働けるようになる日が、どんどん延びてしまう。
(落ち込んでる場合じゃないわ)
私は引き出しからペンを取り出すと、あかりさんから預かったメモを参考にして、申請書に記入を始めた。
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