アフター5はメガネをはずして
そして自分のデスクに戻り、PCの画面を見る振りをしながら、どきどきと、まだ高鳴る胸をそっと押さえた。
(まさか、こんなにもすんなり受理されちゃうなんて!)
ほっと安堵のため息をつくと、それを合図にするかのように、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。
ぞろぞろとデスクに社員が戻ってくる。
(他の人に知られる前に、提出できてよかった~!)
ひとまず、第一関門は突破だ。
(人事の許可がおりるまで、大半は1週間程度かかるって、注意書きがあったけど……)
適当なファイルをクリックして、データ確認するふりをし、これからのことを考える。
今までに経験したアルバイトは、図書館の資料整理やお弁当のおかず詰め。
おおよそ接客業とは程遠い、1人で黙々と続けるタイプの仕事だ。
私自身、人と話す機会が多いアルバイトは意識的に避けていたし、アルバイト先で人手が足らなくなったときも、受付や窓口業務に駆り出されることはなかった。
(……いくら知り合いのお店とはいえ、飲食業における東京の一等地、銀座のホステスなんて、私に務まるのかな)
キーボードを打つ手をとめ、はあっと大きくため息を吐く。
ドレスとヘアメイクはお店のほうで準備してくれるから、何も用意しなくて大丈夫と、先方に前もって聞いている。
あっちゃん―――あかりさんと母からダブルで説得攻撃を受け、これはもう逃げられないと悟った後、私は最低限の知識だけは得ておかねばと、ホステスの仕事をいろいろと質問したのだった。

「本当に助かるわ~! メイクやドレスはこちらで揃えるから。心配しないでね。それから基本的に、麦ちゃんにはヘルプをお願いしようと思っているから」
「へ、へるぷ……ですか?」
聞いたことはあっても、具体的に何をすればいいのかはちんぷんかんぷんだ。
ハテナマークを浮かべるばかりの私に、あかりさんは懇切丁寧に教えてくれる。
「ヘルプっていうのはね、私や店の女の子たちの補佐役みたいなものなの。ボトルを開けてお客さんの飲み物を作ったり、灰皿を変えたり、会話をつないだりね」
夜遅い時間に、泣きはらした目で銀座から、わざわざ母の店を訪ねてきたあかりさん。
到底使い物になりそうもない私を、これほどの好条件で迎えてくれるのを見ると、かなりお店は切羽詰まった状況なんだろう。
「うちのお店、お客さんはみんな上品だから、その点は本当に安心して。クラブはキャバクラとは違うのよ。無理やり体を触られたり、しつこく連絡先を聞かれたりなんて、そんなことは絶対にないから!」

母は、家では仕事のことは一切話さない人だった。
おそらく父の感情を配慮して―――自分の稼ぎが少ないせいで、妻が水商売をしている不甲斐なさや劣等感を刺激しないようにと考えて―――何も話さなかったのだろう。
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