月に魔法をかけられて
「あっ、はい。わかりました」

振り返って返事はしたものの、先ほどの話の内容が頭をよぎり、副社長の顔をまともに見ることができない。

私は視線を外すと、もう一度純也さんに顔を向けた。

「純也さん、すみません。やっぱりまた今度でもいいですか? まだ時間がかかりそうで、何時になるか分からないのでお待たせしちゃうのも悪いし」

「そっか。俺なら待ってるから気にしなくていいんだけど。でも美月ちゃんが困るよね。うん、わかった。また今度一緒にごはんに行こっか」

「すみません……」

私が頭を下げながら謝っていると

「あっ、後藤さん、これは気づかずすみませんでした。本日はどうもありがとうございました。お気をつけてお帰りください」

純也さんが私の隣にいたことに今気づいたのか、副社長が、とてもにこやかに右手を前に出しながら純也さんをエレベーターまで誘導し始めた。

「美月ちゃん、またゆっくり話そう。連絡するね」

純也さんはまだ何か言いたそうな顔をしながらも、副社長に誘導されるまま、私に手を振りながらエレベーターに乗って降りていった。


*****

副社長に招待客の忘れ物がないかチェックをしてと言われ、急いで会場の中に戻ってきた私は、目の前の光景にその場に立ち尽くしてしまった。

サイドテーブルに並んでいた料理もたくさんの丸いテーブルも、既にホテルスタッフによって綺麗に片づけられていたのだ。

だだっ広い会場の中で、数人のスタッフだけが最後の確認をしている。


確か、もうすぐ片付けが始まるからその前に会場の中に忘れ物がないかチェックしてって言ったよね?

もう全部ホテルスタッフの人が片づけて何もないじゃん。

私は念のため、近くにいたホテルスタッフに尋ねた。

「すみません。会場の中に招待客の忘れ物などはなかったですか?」

「はい。こちらにはありませんでしたよ。何かお忘れものですか?」

「いえ、忘れ物がないかのチェックで……」

「あっ、そうですか。先ほど藤沢様にもお伝えしたのですが、もし何かありましたら営業担当を通じてご連絡させていただきます。クロークはご確認されましたか?」 

「まだです。あっ、これから確認に行きます」

私はそう告げて3階エリアのクロークへ移動した。
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