月に魔法をかけられて
脱衣所のドアを閉めてひとりになったところで、私は両手で胸を押さえながらふぅーと大きな息をついた。

全速力で走ったあとみたいに、心臓がドキドキドキドキと忙しなく動いている。

あー、なんて大それたことをしてしまったのだろう。
自分の部屋に副社長を入れるなんて……。

男の人は怖いと思っていたはずなのに、車から降りる瞬間、つい口からあんな言葉が出てしまった。

どういうわけか、あのまま車から降りてしまうのがなんとなく寂しい気がした。

あの瞬間、もう少しだけ副社長と一緒にいたいと思ってしまったのだ。

毎日一緒に仕事をしている副社長だから、どういう人かも分かっているし、信頼もしている。

だけど、彼氏ではない男の人を、しかも会社の副社長を気軽に自分の部屋に入れるなんて、どう考えても常識がなさすぎる。

副社長に軽い女の人だと思われたかな。
誰にでもこんなことしてるって思われたらどうしよう。

冷静になればなるほど、自分のした行動に後悔が押し寄せてくる。

洗面所の鏡の前には、昨日のパールピンクのメイクをしたワンピース姿の私が映っていた。

メイクはさほど落ちてないものの、ところどころ脂が浮いてテカっている。

(私、ずっとこんな顔をして副社長と話してたんだ……)

いつから自分の顔を見ていなかったんだろう。
お店のトイレに行った時が最後?

こんなテカった顔のまま副社長と話をしていたんだと思うと急に恥ずかしさがこみ上げ、再び大きな溜息を吐きながら両手で顔を隠してしまう。

(あー、きっと副社長、私の顔を見て『メイクがヨレヨレじゃん』って思ってたんだろうな……)

副社長に可愛く見られたいわけじゃないけど、こんな可愛くないテカった顔を向けていたことに、かなりショックを受けている私がいた。
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