ニセモノの白い椿【完結】
「……な、何言ってんのよ。別に、どこにも行かないけど」
なんとか吐き出した声は、情けないほどに震えて。
「は? え……? ニューヨークは……?」
今度は、木村が訳が分からないとばかりにその目を瞬かせる。
「確かにニューヨークには行くけど、それは弟の結婚式があるからで。月曜には帰って来るし」
「結婚式? この期に及んでそんな嘘をつくな。生田さん、物凄く思い詰めているみたいだったって。これからのこと、考えているんじゃないかって。それで、今日、ニューヨークに行くって聞いて、もしかしたら、銀行辞めるのかと……」
そこまで口にして、木村がハッとしたような顔をする。
「思い詰めてる? これからのこと? 何、それ。誰がそんなこと――」
そして木村が大きく息を吐き、突然崩れ落ちるように玄関先にしゃがみ込んだ。
そして手のひらで自分の髪をぐしゃぐしゃっとしている。
「……やられた。完全に、やられたよ」
「え? 何? 一体、どういうこと?」
もう一度大きく息を吐いた木村は顔を上げない。
その様子が気になって、私もしゃがみ込む。
そうしたら、木村が顔を上げ、弱り切った笑みを浮かべていた。
「少しの疑いもなく信じてしまった。だって、雪野ちゃんだよ? あの子、こんな芝居するようなタイプじゃないだろ?」
「えっ? 雪野さん?」
思わず声を上げてしまう。全然意味が分からない。
「今朝、始業時刻間際くらいに、俺の内線電話に電話かかって来て。『生田さん、今日ニューヨークに行くって言ってた』って。『かなり思い詰めているみたいだった』ってさ。雪野ちゃんが、生田さんの様子が心配だってめちゃくちゃ深刻そうに言うから、もしかしてって……。ってことは、それ全部、雪野ちゃんが考えた嘘? いや、嘘は吐いていないんだ。ただ、上手いこと情報を切り抜きして、俺を誘導してる」
そう言うと、木村が笑い出した。
「そう言えば、雪野さんには言ってあった。弟の結婚式でニューヨークに行くって」
つい先日も、うちの支店に来ていた雪野さんと偶然顔を合わせて。『結婚式はいつになったんですか?』ってそれとなく聞かれた気がする。
「はめられたな。完全にしてやられた」
「それで木村さん、そんなつぎはぎの情報だけで、仕事放り出してこんなところに飛んできたの?」
そう問いかけると、少し目尻のあたりを赤くして私に視線を向けた。
「もう二度とあなたに会えなくなるのかもしれないと思ったら、いろいろ冷静に考える余裕なんてなくて。とにかく会いに行かないとって、頭で考える前に身体が動いてた」
そう口にした木村の目に、熱が帯び始める。