ニセモノの白い椿【完結】
「いやいや、そんなこと出来ないよ。大丈夫、ホテルもあるし、それに、弟の彼女も東京に住んでるから――」
慌てて言葉を重ねた。
「彼氏の姉と過ごすなんて、普通、嫌でしょう。俺のところなら、なんの気兼ねもいらないし」
いやいやいや。そんなこと出来るはずない。むしろ、気兼ねだらけだ。
あなたは、仮にも、男ですよ。
「ほとぼりが冷めるまでのことだ。こっちは本当に構わないから。それに、俺はあなたの友達だろ? あ、違ったか。弟だったか? だったら、問題ないよね?」
「問題あるでしょ!」
「どうして? あなたは俺を男だとまったく意識していない。俺だって生田さんに手を出したりしない。それは、あなたも分かるでしょ」
「それは、そうだけど。でも――」
確かに、それは分かる。酔っぱらって一夜を共にしたあの日さえ、この人は私に何もしなかった。出会った日から今日まで、私に対して特別な感情を持っているという気配は微塵も感じられない。
「こんなところで押し問答しても仕方ない。ほら、行くよ」
そう言うと私の腕を掴み、駅前に並んでいたタクシーに半ば強引に私を押し込めた。
まさか、男の家に世話になることになるなんて――。
タクシーに揺られながら、どこか他人事のように思っていた。
流れる車窓はすぐに見知らぬ街のものになる。
この判断、間違っているんじゃないか――。
もう一人の自分が訴えて来る。
でも、もう一人の私が言う。
大丈夫。もし、何か間違いが起きそうになっても、私が嫌だと言えば、木村という人間は絶対にやめてくれる。そもそも、この男が私に手を出すこと自体が想像できない。
まだ一月ほどの付き合いだけれど、何故かその自信だけはあった。
木村はいつも私を、ただの友達みたいな目で見ていた。
とりあえず、今日だけ――。
そんな私たちの短い時間の関係が、私の判断を鈍らせたのかもしれない。
生きていれば、考えもしないことが起きることがある。
つい先ほどまで身体中に感じていた強張りのせいで、どっと疲れが鉛のように身体を深くシートに沈める。
何かを深く考えるだけの力が残っていなかった。
ただ、心地よい車の振動に身を任せてしまった。