お父さんじゃダメなの?
 帰宅後、私は、まず冷蔵庫を開け、水を飲む。

コクコクコク……
ふぅ〜

私はグラス一杯の水を飲み干して、息を吐く。

 すると、主人が口を開いた。

「なぁ、そいつのこと、気になるのか?」

そいつ?

酔っているせいもあり、話がよく理解できない。私が首を傾げていると、主人は苛立ったように続ける。

「その、お前の初恋の相手だよ」

「……は?」

何?
まさか嫉妬?

そんな何十年も前の初恋なんて、いい思い出でしかないでしょ。

私もいいおばさんだし、相手だって100年の恋も冷めるような薄毛のおじさんだし。

でも……

ふふふっ

こんな風に嫉妬されるのなんて、何年ぶり?

「だって、私を名前で呼んでくれる人なんて、もう誰もいないもん」

嬉しくなった私は、あえて否定することなく答える。

すると、主人はブスッとした表情で呟いた。

「俺がいるだろ」

ふふふっ
そんなこと初めて言われたかも。

「へぇ、いつ名前で呼んだの?
 今だって、『なぁ』だったし。いつも、なぁ、ねぇ、あの、しか言わないじゃない」

私はずっと気になってたことをぶちまけた。

結婚した頃は、ちゃんと名前で呼んでくれてたのに。

その瞬間、主人はハッとしたように息を飲んだ。

「……お前だって、お父さんとしか言わないだろ。俺はお前の夫になった覚えはあっても、父親になった覚えはない。いつもあれしてこれしてって頼み事しか言わないくせに」

えっ?
そんなこと思ってるなんて、初めて聞いた。

「お父さんじゃ、ダメなの?」

「……」

主人は気まずそうに無言で目を逸らす。

「……はるくん」

私は、久しぶりに昔の愛称で主人を呼んでみた。

「……」

主人はプイッと顔を逸らして背を向けたものの、その一瞬、口元が緩むのを私は見逃さなかった。

「名前で呼んで? はるくん」

私は一歩近づいて、彼の背中に頬を寄せて寄り掛かった。

しばらくの沈黙の後、主人の小さな声が聞こえた。

「……なつみ」

「ふふっ、嬉しい」

私は、そのまま主人の腰に腕を回して抱きついた。

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