時雨刻
そこへ、あのお方がお客さまとしていらっしゃったのです。

どことなく、辺りがざわめいた気がいたしました。

無理もございません。

この国の男子の平均と比べて、頭ひとつほども高い身長に長い脚、そして人目を惹く目鼻立ち。

それより何より印象的なのが、薄く灰みがかった、両の碧眼でございました。

愛らしい模様の鈴のついた子ねこ用の首輪を買われ、あの方が去ってゆくと、わたくしどもはすぐに目を見合わせ、噂話を始めました。


見た、見た、あのお方。
蝶子さん(わたくしの名前です)、どなたか知っていて?

いいえ、存じ上げないわ。京花さんこそ。
ああ、どこにお住まいなのかしら。

あの瞳。なんて澄んだ色。

それよりあの銀髪よ。きっとロシア帝国の王族の血が入ってるんだわ。


わたくしどもは、まるで少女のように浮かれ、囃(はしゃ)ぎました。

それから残りの時間は、ふたりともボーッとしてしまって、お釣りを間違えたりとちっとも仕事にならなかったくらいに。


その日を皮切りに、あの方は、毎月いちどあるこのバザールに、毎回来てくださるようになって。
(おかしなことに、2回目にいらっしゃったのを見つけた時は、例の彼女と目を見合わせ、思わず、"あーー"と叫んでしまったものです!)


とうとうわたくしたちは、私設のファンクラブのようなことまで始めてしまいました。

ええ、もちろん

本気で、あの方とどうこうなりたいとか、
ラブレタアを書いて、己の気持ちをお伝えしたいとか
そのような不埒な思いではございません。

なんといったらよいのでしょうか。
そう、まさに女学生の頃の、映画スタアに熱をあげたり、隣の男子校の生徒会長などをアイドルにしたて、内輪で騒ぎ立てるようなものでございます。

なぜなら、あの方がバザーにいらっしゃる時には、常にその傍らに、それは美しい奥方さまがいらっしゃったのですから。

ともかくも当時のわたくしは、年甲斐もなく、そのような心のさざめきに楽しみを見つけ、身の置き場なく、よるべもない自らの傷心を、慰めていたのでございます。
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