溺愛音感
いきなり変わった話題に付いていけず、首を傾げる。
そんなわたしに、美湖ちゃんは信じられないものを見るような目を向けた。
「このホールのネーミングライツを所有している『KOKONOE』の取締役社長ですよっ! ハナさん、対応してたじゃないですか! めちゃくちゃイケメンだったでしょうっ!?」
めちゃくちゃイケメンなお客さまなんて、ひとりしか心当たりがない。
「えっと……それって……もしかして眼鏡かけてて、背が高くって……左の目尻にホクロがあったり、する?」
「そう、それですよっ!」
サーッと血の気が引いた。
ネーミングライツを所有している会社の社長ということは、運営側とも親しいかもしれず、スタッフの質について苦言を呈するなんてこともあるかもしれず……。
(ま、マズイ)
見た目が彼の基準に達していなかったのはともかくとして、急いでいるところを待たせてしまったのは完全にわたしの落ち度だ。
(ど、どうしよ……クビになるかも)
甘い人間に大会社の社長なんて務まらないだろう。
特に、真面目で勤勉、仕事に厳しい日本人は、アルバイトに求めるレベルも半端なく高い。
(こ、ここのアルバイトをクビになったら……)
ほかのアルバイトは時給も安く、単発ばかり。
この職を失えば、かろうじて滞納せずに済んでいる光熱水費、家賃、スマホ代の支払いが危うくなる。
動揺のあまり、無性に何かを噛みしめたくなった。
(た、確か、一個くらいは鞄に忍ばせてあったはず……)
リュックサックを漁り、個包装の「おせんべい」を見つけて齧りついた。
しっかりした歯ごたえとふわりと広がる香ばしい醤油の匂いに、少しだけ気分が落ち着く。
(ああ、この感覚。日本語でなんて言うんだっけ……? なご、なんとか。なご……)
「ちょっとハナさん、何、食べてるんですかぁ? そんなにお腹空いてたんですか?」
丸ごと口に入れてバリバリとかみ砕いていたら、美湖ちゃんに気づかれてしまった。
「もごっ……あの人、あんなに若いのに大企業の社長なんだ。すごいね?」
偉そうな態度と口調ではあったが、せいぜい二十代半ばにしか見えなかった。
「現会長の孫らしいですよ。生まれながらの御曹司。しかもあの容姿。まさに王子様ですね」
容姿に恵まれ、地位もあり、お金もある御曹司。
思うようにならないことなんて、なさそうだ。