溺愛音感


「じゃあ……次は、動物園がいい」

「天気次第だが、計画しておこう。とりあえず……夕食の準備をする前に、シャワーだ。ハナ」


シャチの歓迎をまともに受け止めたので、まずはお風呂というマキくんの意見に異論はないが、嬉々としてわたしをバスルームへ運ぶマキくんを見ていると、この時間が一番楽しいんじゃないかと思ってしまう。

洗われ、乾かされ、きれいさっぱりしたところで、マキくんの手打ちうどんを食し(おかわりして二玉食べた)、五日ぶりに音楽室へ足を踏み入れた。

こんなに長い間、ヴァイオリンに触れなかったことなんて、初めてだ。

どんな時でも、和樹と婚約破棄をした時も、記憶にはなくても弾いていたことは身体が覚えている。


「ねえ、マキくん。ちょっと練習してからでもいい? 久しぶりだから自信ない」


あるピアニストの名言にあるように、一日練習しなければ自分にわかる。
二日練習しなければ批評家にわかる。三日練習しなければ聴衆にわかる。

五日練習しなければどうなるかなんて、考えたくもない……。



「下手でもいいから、曲を弾け」

「へ、下手でもいいって……わたしがヤダっ!」

「リクエストしている俺がいいと言っているんだ! いいから、弾け」

(うぅ……俺様め……)

「で、何にするんだ?」

「ドビュッシー……美しき夕暮れ、Beau Soir……にする」

「ハナは……服のセンスはないが、選曲のセンスはあるな」

「――っ!」


思わず、俺様に噛みつきそうになったが、お仕置きでおやつ(おせんべい)抜きにされてはイヤなので、我慢した。


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