溺愛音感
マキくんのピアノの音で弦の調子を合わせ、深呼吸。
目を合わせ、息を合わせ、弾き始める。
オレンジ色に染まった空。凪いだ海面。
水族館から駐車場までの帰り道、遊歩道から見た砂浜は、すっかり人気もなくなり寂しさを漂わせていた。
三分にも満たない短い曲は、物悲しく、儚く、どこまでも美しい。
柔らかなピアノのメロディーと優しく絡み合い、高く昇りつめた先に、暗い夜が待ち受けていることを匂わせながら、静かに消える。
確信を黙っていられなくなったのは、もっと近づきたいと思うから。
知りたい、と思うから。
「……マキくん。ヴァイオリンの伴奏、したことがあるよね? 一度や二度じゃなく、何度も」
唐突に繰り出されたわたしの問いに、鍵盤蓋を閉めようとしていたマキくんの手が止まった。
「ああ。昔……ヴァイオリニストのタマゴの伴奏をしていたことがある」
「タマゴ?」
「音大生だ」
「でも、マキくん……音大出身じゃないよね?」
立見さんから聞いた話では「経済学部」に在籍していたはずだ。
どうして音大生の伴奏をしていたのだろうと不思議に思って首を傾げたら、予想もしなかった答えが返って来た。
「昔付き合っていた相手が、音大に通っていたんだ。たまに気晴らしに合わせたり、練習のために伴奏させられていた」
立見さんの言葉が脳裏によみがえった。
『例外は、学生時代の恋人くらいだ』