溺愛音感
何かに背を押され、促されるようにして、広場の片隅でそっとケースを開けてみる。
長い間、広々とした空の下で奏でられてきた父の形見、無銘のヴァイオリンが「窮屈だ」と訴えていた。
もしかして、と思いながらケースから取り出そうとし、激しく震える手に、失望する。
(やっぱり……弾けない)
開けたケースを閉ざし、遮るもののない場所に背を向け、いつものカラオケボックスへ向かう。
ひとりで。
誰に聴かせるわけでもない、
誰も聴いてはくれない音を、
ただ紡ぐためだけに。