溺愛音感



「初めまして。九重 柾(ここのえ まさき)です」


母に、テーブルの下で太ももをつねられ、我に返る。


「さっ……榊 絆杏(さかき はんな)です」

「…………」


白々しい挨拶の後には、沈黙が落ちる。


(ど、どう……なんで、『KOKONOE』の社長とお見合い……)


一流ピアニストとして活躍している母は、さまざまな人脈を持っている。
いわゆるセレブな人たちとお知り合いでもおかしくない。

けれど、そんな人たちにわたしのような娘を紹介しようとするなんて、無謀すぎる。

しかも、心の広い、優しい人ならともかく、見ず知らずの相手に暴言を吐くような人だ。

彼のお眼鏡にかなわないのもすでにわかっている。


「柾。もっと愛想よくせんか! ところで、ハンナちゃんではなく、ハナちゃんでいいのかね? 音羽先生がそう呼んでいるようだが……」


ぴしゃりと孫をしかりつけた松太郎さんは、相好を崩して優しく訊ねてくる。


「あ、はい。正しくはハンナですけれど、ほとんどの人が『ハナ』と呼びます」

「うむ。ハナちゃんの方が呼びやすいから、わしもそうさせてもらおうか。ところで、ここの日本庭園を見たことはあるかね?」

「え、いいえ。初めて訪れたので……」

「さっそく二人で散歩がてら少し話をしてみてはどうだ? 柾」

「そうですね。どうでしょう? ハナさん」


席を立ち、三十五歳らしく余裕のある笑みで物腰柔らかに誘う社長(毒舌)に、ドン引きした。


(御曹司で、本物の王子様、なんだけど……な、なんか企んでそうで……怖い)


「えっと……」

「行きなさい、ハナ。柾さんは外国語も堪能でいらっしゃるそうだから、日本語が難しければフランス語でも何でも、話しやすい言葉でコミュニケーションを取って大丈夫よ」


母に耳元で囁かれ、あれよあれよという間に、あの夜とは別人のような社長(毒舌)の手に預けられる。


「柾。食事は、三十分後。ここの最上階のフレンチレストランだ」

「承知しました。では、行きましょうか。ハナさん」

「…………」


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