溺愛音感
日本庭園には、ラウンジの奥にある扉から出られるようになっていた。
様々な形に刈り込まれた低木、小さな滝、きれいな模様が描かれた枯山水。
日本らしい風景は、とても清々しく、美しい。
(何事もなければ、堪能するのに……)
カオスな状況を恨めしく思いながら、飛び石を辿り、小さな池にかかる橋を渡り、ラウンジからは見えない場所まで来たことを確認して、口を開く。
「……お見合いのこと、知っていたんですか?」
「ああ。そっちにも、音羽先生から連絡があったはずだが?」
振り返った顔に、先ほど見せた愛想は欠片も残っていない。
「お見合いしなさいと言われただけで、名前も、顔も、何をしている人かも知りませんでした」
「その割には、ずいぶん気合の入った恰好をしているな? 相変わらず、まったく似合っていないが」
(なんで……なんでそんなこと言われなくちゃ……はっ! 怒っちゃダメ! 腹を立てるだけ無駄。社長(毒舌)とは、こういう生き物なんだって思わなくちゃ……)
深呼吸を繰り返し、どうにか気持ちを落ち着かせ、最大の謎を追求する。
「どうしてお見合いを受けたんですか?」
これまでの暴言から、わたしが彼の好みでないことは明白だ。
そうとわかっていながらお見合いの席にやって来た理由がわからない。
「断れなかったからだ」
「断れ、なかった?」
どういうことかと目で問えば、苦い表情で松太郎さんのせいだと言う。
「うちのジイさんは、人の話を聞かない。会いもせずに断れば、なぜだ、どうしてだと問い詰められる。実際に会ってから断るなら、いろいろと理由もつけやすい。まあ……いつもは、取引先の令嬢や政治家の娘を持って来るのが、今回は毛色が変わった相手で興味があったのは、事実だが」
今回の見合いに至った経緯は、ごく単純なもの。
彼の祖父で『KOKONOE』の会長である松太郎さんは、母が駆け出しの頃からのファンで、CMへの起用やスポンサー契約など多岐にわたって支援してきた。
とは言っても、あくまでも、ファンと演奏家という垣根を越えて付き合うことはなかったらしい。
ところが、先日、某企業のレセプションパーティーで顔を合わせた際、ふとしたことからお互いに二十五歳フリーターの娘と、結婚する気配がまるでない三十五歳独身の孫を抱えているという話になり、二人をお見合いさせてはどうかと思い付いたらしい。