溺愛音感


「ハナが望むなら」

「望まなければ……?」

「そうだな……俺の専属ヴァイオリニストとして雇う」

「へ?」

「その場合、ちゃんとした報酬を支払うぞ? 百曲一万円はお試し価格だからな」


その言い方は、まるでわたしのヴァイオリンをとても気に入っているように聞こえる。


「マキくんって……わたしの……ヴァイオリンが好き、なの?」

「当たり前だろう? 嫌いなものをわざわざ聴きたいと思うか?」


まっすぐにわたしを見つめる瞳に、嘘はない。


いまこそ、訊くべきだった。


わたしの――『Hanna』のファンだったのか。
そうだとしたら、いつからなのか。
元カノがきっかけで、ファンになったのか。

わたしを拾ってくれた日、どうして墓地にいたのか。

訊きたいことを訊いて、お礼を言って、すっきりするチャンスだ。


けれど、口を開いても言葉が出て来なかった。


「こうして、ハナの演奏を独り占めしているなんて、俺にとっては夢のようで……この上ない贅沢だ」


向けられた笑顔があまりにも優しくて、温かくて……何も言えなくなった。

わたしにとっては空白の記憶の確認作業にすぎなくても、マキくんにとっては、辛い思い出を無理やり掘り起こすことになるかもしれないのだと思うと、言えなかった。


(急ぐ話でもないし……今日じゃなくても、いいよね?)


先延ばしするんじゃなくて、時機を窺っているだけだと自分に言い訳しつつ、もう一度マキくんに顔を寄せようとして……。


「マキくん。目、つぶって」

「どうしてだ?」

「ど、どうしてって……普通、キスは目を閉じてするでしょぉ?」

「そんな決まりはない。見つめ合ったままするキスのほうが、そそられる」

「そ、そそられっ……!?」

「早くしろ、ハナ。もう眠い」

(だったら、キスねだらないで、さっさとベッドに行けばいいでしょぉっ!?)


俺様な飼い主を睨みつつ、ぎこちない動作で屈みこみ、しっかりと唇を合わせ……た途端、後頭部に手が回り、マキくんの上に乗っかるように引き寄せられた。

何をするのだと言おうにも、口は塞がれたまま。

とても眠い人とは思えぬ濃厚なキスに、わたしのほうが気が遠くなりかける。


「ハナ……」


唇だけでは飽き足らず、首筋、肩、デコルテまでキスをしたマキくんが、「はぁ」とせつない溜息を吐いた。


「思った以上に、時間が掛かってしかたない。早く太るように、明日からは一日五食に変更……」

「しなくていいっ!」


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