溺愛音感
ハナ、遠吠えする
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マンションまでの道中、運転するマキくんは先ほどまでの愛想の良さが嘘のように、無言だった。
(いつも四六時中おしゃべりしているわけじゃないけど……マキくんが大人しいと、なんか……調子狂う……)
漂う張り詰めた空気に、話しかけるのもためらわれる。
もしかして、今夜はシャンプーもなしで、このまま寝ることになるのかも……と思っていたら、部屋へ帰り着き、音楽室のテーブルにヴァイオリンケースを置いた途端、背後から捕獲された。
「わっ! ま、マキく、んぐっ!?」
そのままソファーに押し倒され、キスで口を塞がれる。
強引に唇を割られ、性急に舌を絡められ、不快ではないけれど戸惑う。
いつもは、キスをする時も、シャンプーしている時も、わたしの反応を楽しむ余裕たっぷりなのに、いまの彼はまるで別人のようだった。
(ど、どうしちゃったの……?)
目を見て、その胸の内を窺いたいのに、長いまつげはずっと伏せられていて、アンバーの瞳と出会えない。
角度を変えようとした唇が離れた一瞬の隙に、ぐいっと思い切りその顔を押し退けた。
「待ってっ!」
「…………何をする? ハナ。そんなに俺にキスされるのがイヤなのか?」
「そ、そんなこと言ってないっ! ちょっと待ってほしいだけっ!」
マキくんが渋々身体を離したので、起き上がり、向き合うように座り直す。
不機嫌極まりない様子ではあるが、ようやく話ができそうだとほっとしたのも束の間、思いがけない名前がその口から飛び出した。
「相馬和樹に、何を言われた?」
「え……?」
(な、なんで知ってるの……?)
「美湖から、相馬和樹がハナに接触して来たと聞いた」
「美湖ちゃんが……?」
(あの時……車に乗ってすぐ、ヨシヤが美湖ちゃんに連絡するように言ったのは、マキくんだったんだ……)
「どうして、真っ先に俺に連絡しないんだ?」
「え……や、だって、マキくん忙し……」
「仕事はどうにでもできるが、ハナに何かあってからでは遅いだろうっ!」
「…………」
まさか、そんなことで迎えに来てくれただなんて思ってもみなかった。
じんわりと胸が、温かくなる。
「心配……してくれたの?」
「当たり前だ。飼い犬の安全を守るのは、飼い主の責任だ」
(よ、喜ぶべきなんだろうけど、素直に喜べない……)
「アイツに何を言われたんだ? ハナがかなり動揺していたと美湖が言っていた」
急き立てるように問われ、上手く取り繕えずにありのままを答える。
「何って……話がしたいって、言われただけだよ。誤解があるとか、わたしにとっても話すことが必要だとか……話す気になったら連絡してほしいって」
「会うつもりなのか?」
「まさかっ! いまさら会って話すことなんてない」
和樹に連絡するつもりは、微塵もなかった。
ようやく前を向けるようになりつつあるのだ。
後戻りするような真似はしたくない。
けれど、マキくんはそんなわたしの言葉に納得せず、念を押してくる。
「本当に、会わなくていいのか? アイツと話したくないのか?」
「……どういう、意味?」
「アイツに、言いたいこと、訊きたいことがあるんじゃないのか?」
「ない。何を言っても、何を聞いても、『現在』は変わらないのに、会う必要なんかない」