溺愛音感
迷路のような廊下をシャキシャキした足取りで進んで行く松太郎さんは、わたしが何かに興味を示すたび、丁寧に説明してくれた。
「その壺は、柿右衛門だ。二代前の作品が好きで収集しているんだよ」
「ああ、その水墨画は伊藤若冲だ。鼠の婚礼を描いている。残念ながら複製で、本物ではないがね」
「欄間の細工は、一枚板から彫り出したものだよ」
(こんな家に住んでいたら、それだけで日本人らしくなれそう……)
そんなことを思いながら辿り着いた松太郎さんの部屋は、平屋の一番奥、増築された一画にあった。
バストイレ、キッチンまである独立した造りになっていて、なんと専用の内庭まである。
白い玉砂利に、黒々とした大きな岩。
緑の葉っぱを茂らせているのは、楓だろうか。
小さな池のほとりには、苔むした石灯篭がひっそりと佇んでいる。
箱庭を原寸大にしたような、さりげなく、それでいて緻密な計算のもと造られた内庭に面した縁側には、割烹着姿で蹲る女性がひとり。
「志摩子さん、ハナちゃんが来たぞ」
白っぽい壺のようなものを覗き込んでいた女性は、パッと立ち上がって振り返った。
「まあ! ちょうどいいところへいらっしゃいましたね。いい感じに炭が熾きたところですよ」
「さすが志摩子さんだ。ハナちゃん、家のことをしてくれている志摩子さんだ」
「こんにちは」
「こんにちは、ハナさん」
太陽――そう形容するのがしっくりくる、明るい笑顔の女性は、五十代くらいだろうか。「家政婦の志摩子です」と名乗った。