溺愛音感
「急なお願いだったのに、すっかり用意していただき、ありがとうございます。志摩子さん」
マキくんが丁重にお礼を述べると、志摩子さんは顔の前で手を振る。
「とんでもありません! 昨日、七輪の具合を確かめるのに、わたしも一枚焼いてみたんですけれど、もう楽しくって! これからは、時々七輪で料理してもいいかもしれないと、松太郎さんと盛り上がってしまったんですよ」
「さっそくハナちゃんも挑戦してみてはどうだね?」
松太郎さんから手渡された袋には、十枚ほどの白い丸い物体が入っている。
「お味もいろいろ楽しめます。定番は醤油ダレですが、七味をふったり、洋風にチーズをのせても美味しかったので用意してみました。お好みでどうぞ」
気の利く志摩子さんは、おせんべいの味付け用のタレやトッピングまで用意してくれていた。
「せんべいの素も、ゴマやピーナッツ入り、薄焼き用など様々で、選り取り見取りだ」
部屋の片隅に置かれていた段ボールを運んできたマキくんが、次々と小袋を取り出す。
言葉どおり、いろんな味や厚みがあって、バリエーションに富んでいる。
「これ、全部買ったの? マキくん」
段ボールにあるおせんべいの素は、軽く見積もっても二十袋くらいはありそうだ。
一日で全部焼くなんて、それこそおせんべい屋さんでもなければ無理だろう。
「ああ。いつでも焼けるぞ?」
「いつでもって……」
七輪はどうするのだと言いかけたわたしに、松太郎さんが「いつでも遊びに来るといい」と提案してくれた。
「でも、松太郎さんだって、忙しいんじゃ……」
「会長なんて名ばかりだ。せっせと働くのは、若い者に任せている」
「柾さんも椿さんも、お家を出てしまいましたからね。松太郎さんは、話し相手がほしいんですよ、ハナさん。いつもわたしとばかり話しているので、退屈していらっしゃるんです」
志摩子さんの補足に、松太郎さんはやけに慌てた様子で否定した。
「そんなことはないぞ、志摩子さん! 志摩子さんと二人きりでも、まったく問題はない。志摩子さんこそ、いつもわしと二人きりでは退屈だろう?」
「まさか! いつも楽しいですよ?」
「その割には、時間になるといつもそそくさと帰る……」
「お仕事ですもの。長居するのは、迷惑でしょうし」
「迷惑なんてことはない!」
二人の遣り取りは、まるで新婚夫婦のかわいい痴話喧嘩のようだ。
苦笑するマキくんの目配せを受けて、さっそくせんべい焼きに取り掛かることにした。