溺愛音感
(やっぱり……そうだよね)
弾き終えて、彼女と微笑みを交わすマキくんを見て、彼女がマキくんの元カノだと確信した。
彼女を見るマキくんの表情は、とても優しく、穏やかだ。
ピアニストとして生きる道は選べなくても、彼女とこうして演奏できるだけで幸せだと言うように。
(どんな演奏だったか思い出せないなんて、嘘でしょ。マキくんの大嘘つき)
拍手とアンコールの声を受けて、二人はクラシックの曲ではなく、日本人ヴァイオリニストが作曲した誰もが知る有名な一曲を披露した。
リズミカルで、エネルギーに満ちた演奏は、伸び伸びしていて、心底楽しそうだ。
羨望、とはちょっとちがう、けれど賞賛ともちがう。
モヤモヤズキズキする胸の内にわだかまるものを表す言葉が見つからない。
そのうち、何だか演奏する二人の姿がぼやけてきて、映像が劣化しているのだろうかと思っていたら、松太郎さんがためらいがちに声をかけてきた。
「ハナちゃん……大丈夫かね?」
「……?」
「な……いや、水が出とる」
(水……?)
差し出されたティッシュの箱を見下ろしたら、ポツリとしずくが滴った。
滲んで灰色になった箱に、パタパタと新たなしずくが次々滴り落ちるのを見て、自分が泣いているのだとようやく気がついた。
「あ……ありがどう、ございま、ふっ」
「うむ」
箱ごと受け取って、盛大に鼻をかんだ。
(松太郎さん、きっと、マキくんと彼女が付き合っていたことを知らなかったんだよね……)
知っていて、わざわざわたしにDVDを見せようとするほど、松太郎さんは無神経でも意地悪でもないと思う。
(でも……わたしが泣いたせいで、松太郎さんが感づいちゃったかもしれない……。ごめん、マキくん)
いまさら涙を引っ込めても無駄。
泣けるような曲でもなかったから、「感動して」なんて言い繕うのも不自然だ。
マキくんにあとで謝るほか、どうしようもない。
「ハナちゃんは……柾と演奏したりしとるのかね?」
松太郎さんは、わたしを泣かせてしまったことに責任を感じているのか、神妙な面持ちだ。
「……ふぁい」
「毎日かね?」
「いえ……マキくん、忙しいし……マキくんの、リクエストした曲……独奏も多いから……」
「リクエスト? 柾のワガママに振り回されているんじゃないかね?」
「え、や、そういう、わけじゃ……」
「柾と演奏するのは、楽しいかね?」
「……はい」
「それなら、柾も楽しんでいるだろう」
「そうかな……」
「柾は、プロのピアニストではない。無理をして弾く必要などまったくないんだ。それが、忙しい合間を縫ってでも、ハナちゃんと演奏したいと思うのは、ハナちゃんの演奏が好きで、一緒に演奏するのが楽しいからだろう」
「……そう、かな」