溺愛音感
『売れ続けるためには、話題性がないと。ある程度、プライベートも切り売りしなければやっていけないってことくらい、わかるだろう? あの記事のおかげで、ダウンロード数も、今度の日本公演のチケットの売上枚数も、跳ね上がった。追加公演の依頼だって来ている。むしろ、喜ぶべきだ』
売れることより、「いい演奏」をすることが一番大事ではないのかと問い質したかった。
わたしの同意を得ずに勝手な真似をした彼を訴えることも可能だった。
けれど、彼の言葉、彼の判断が正しいと信じたかった。
路上で弾いていたわたしを見出し、「プロのはしくれ」から「プロ」に仕立て、思い描くことさえ諦めていた「夢」を見せてくれた人。
わたしに、恋を教えてくれ、誰よりもわたしのことを大切に思い、支えてくれる人。
これから先の人生を共に歩むと約束した人なのだから。
和樹の狙いどおり、わたしのバックグラウンドに共感を示し、ファンになってくれる人は増えた。
しかしその一方で、反感を抱く人も増えた。
演奏はもちろん、容姿、衣装やメイク、立ち居振る舞いまでもが批判と悪意ある噂の対象になった。
気にするなと言われても、いくら目をつぶり、耳を塞いでも、すべての「声」をシャットアウトすることはできない。
無数の小さな、けれど鋭い棘が胸に突き刺さる痛みは、日々増していき、だんだん何が正しくて、何がまちがっているのかわからなくなった。
どうやって弾けばいいのか、どうやって弾いていたのか、どう弾きたいのかさえ、わからなくなった。
人前で演奏するのが、日増しに怖くなっていった。
父の死から一年が過ぎた頃。
翌月に迫った初の日本公演を前にして、取材にやって来たフリーの音楽ライターが何気なく口にしたひと言で、張り詰めていたものがプツリと切れた。
『きっとお父さまも、いまのハンナさんの活躍を喜んでくれているでしょうね?』
いまの自分の演奏では、父を喜ばせることなどできないと思った。
ヴァイオリンを弾いても少しも楽しくなかった。
ただ、苦しいだけだった。
わたしは、初対面の人の前にもかかわらず、子どものように声を上げて泣いた。
食事が喉を通らなくなり、眠れなくなり、体重が落ちた。
長時間の演奏に耐えられず、予定していた公演はキャンセル。CDの制作、インタビューも中止。
活動を停止せざるを得なくなった。
和樹は、
「ゆっくり休めばいい」
「ハナの体が、一番大事だ」
「結婚は、焦らなくていい」
「いつまでも待つよ」
そう言ってくれた。