溺愛音感
「えっと……うん……」
『どうした? 失敗でもしたのか?』
「そういうわけじゃ……ない、けど……」
マキくんは、歯切れの悪いわたしに何かを感づいたのか、まっすぐ家に帰って来いとは言わなかった。
『演奏について、悩みがあるなら三輪さんと友野さんに相談に乗ってもらうといい。三輪さんは、ハナが望むなら、今後特別レッスンをしてもいいと言ってくれている』
「え? レッスン?」
思ってもみなかったことを言われ、目を瞬く。
『プロでも、師にアドバイスを貰うのは珍しいことじゃない。ハナは、専門家のレッスンを受けたことがないだろう? 試してみるといい。自分では気づかないことを指摘されるだけでも、効果はあるはずだ』
「……う、うん」
わたしにとって、師匠と呼べるのは父ひとりだけ。
その父が亡くなってからは、和樹以外に演奏についてアドバイスしてくれる人はいなかった。
演奏活動を中止してからは、いい意味でも悪い意味でも、誰にも批判されることがなかった。
客観的な意見を訊くのは、独りよがりの演奏になっていないか確認するためにも、必要だ。
『ハナが、もっといい演奏ができるようになるなら、俺も嬉しい』
マキくんの言葉が、グサリと胸に刺さる。
いまのわたしの演奏がダメだと言っているわけではなく、むしろ応援してくれているのだとわかっていても、素直に受け止められない。
わたしのヴァイオリンは、「彼女」のヴァイオリンには及ばないと言われているような気がした。
彼女の代わりに、いくらでも弾いてあげると言った自分は、なんて傲慢だったのだろうと思う。
わたしは、「久木 瑠夏」にはなれない。
彼女とマキくんが作り出す音は、わたしとマキくんでは絶対に作り出せない。
あのDVDで目の当たりにしたような、二人の間にあった親密さは、わたしとマキくんの間には存在していないのだ。
(同じになれないことを気にしてもしかたないのに……)
ひとはひと、自分は自分。
そう思うべきなのに、ヴァイオリンとマキくんへの気持ちが絡まって、こんがらがって、ままならない。
『ハナ? どうした?』
「う、ううん。三輪さんと……友野先生と、話してみる」
『二人とも経験豊富で弟子も多いから、きっといいアドバイスをくれるはずだ』
「うん」
『ただし、日付が変わる前には帰って来るように』
「うん。マキくんもね」
『約束はできないが、善処する』
「うん。じゃあ、またあとで……」