溺愛音感
「いろんな演奏を聴いて、いろんなことを言われて、ハナちゃんの中は余計な情報でいっぱいになっている。でも、突発的な事態が起きたときは、考える余裕もなくて『からっぽ』になる。だから、本来のハナちゃんらしい演奏ができる。けれど、毎回偶然に頼るわけにはいかないよね?」
「……は、い」
「だとすれば、考えるしかないでしょう? 誰かの演奏を聴くたびに、『自分ならどう弾きたいか』を意識するしかない。ハナちゃんらしさを取り戻して、もう一度確立するために」
「確立、する?」
「元はちゃんとあったけれど、埋もれてしまったものだよ。それを発掘する」
「発掘……」
「三輪先生、試しに誰かのCD聞かせたらどうです? そうしたら、はっきりわかるかも」
「そうだね。じゃあ、わかりやすいところで僕の生徒の演奏を聴いてみてもらおうか。ツッコミどころ満載だと思うし」
三輪さんは、キャビネットにずらりと並んだDVDの中から一枚取り出した。
大学の生徒ではなく、自宅でレッスンしている小中高生の発表会を映したものだ。
小学生の女の子が弾く、クライスラーの『美しきロスマリン』が部屋の隅に置かれた縦型のスピーカーから流れ出す。
一生懸命弾いているのが伝わって来る演奏は、たどたどしく、拙いけれど、ちゃんと彼女なりの音楽になっていた。
でも、ここをああしたら、とか。
あそこをこうすれば、とか。
もっとこんな風に、とか。
いろんな思いが脳裏を過る。
指が、腕が、ムズムズした。
「弾いてみる?」
演奏を終えた彼女が画面の右端に消えるのを待って、三輪さんはモニターを消した。
「はい」