溺愛音感


待ちきれないとばかりに立ち上がってすぐに弾き出そうとしたら、呑気にスマホを見ていた友野先生が「わ、ちょっと待って!」と叫んだ。


「何してるの? 早くしてよ、友野くん」

「はいはい、すみません……」


友野先生が鍵盤に手を下ろすなり、たったいま思ったことをそのままに、弾き始める。


「うわっ、ハナちゃんっ!? 速すぎっ……指がもつれるよぅ……」


ミスタッチしまくる友野先生の呟きに、噴き出しそうになる。

ついさっき弾いたばかりの曲だけれど、新鮮だった。

誰の足跡もない、真っ白な新雪の上を気の向くままに歩きまわるような気持ちで弾き終え、ソファーに座る三輪さんを見つめる。

目をつぶっていた三輪さんは、ぱっちり目を開け、拍手しながらにっこり笑った。


「うん、いいね! 合格。アンコールしたくなったよ!」


ほっとして、自然と笑みがこぼれる。


「ありがとう、ございます」

「さっき僕が言いたかったこと、なんとなくわかったかな?」

「……たぶん」

「いいと思うものは参考にし、ちがうと思うものはどうすればよくなるかを考える。いちいち考えるのは面倒かもしれないけれど、しばらく続けてみて。きっと、自分のことがよくわかるから」

「自分のこと……?」


他人の演奏のことではないのかと首を傾げたら、三輪さんは優しい笑みを浮かべた。


「そうだよ。大事なことは、他人がどう弾くかじゃなく、あくまでも自分がどう弾くか、どう弾きたいか、だからね」


残りの二曲も、三輪さんの生徒さんのDVDを見てから、思ったままに弾き、どちらも「合格」と言ってもらえた。


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