溺愛音感
三輪先生の家を訪れた日から、彼女のヴァイオリンの音が頭の中でぐるぐる回ることはなくなっていた。
それでも、松太郎さんの家で見た彼女のヴァイオリンの音が耳を離れなかったのは何故なのか、確かめたかった。
わたしの気持ちの問題とマキくんのピアノという相乗効果のせいだったのか。
それとも本当に彼女の演奏がわたしの心に響いたからなのか。
その答えを見つけたいと思った。
SNS、まとめサイト、個人のブログやツイート、いまの時代あらゆる情報がインターネット上に溢れている。
一般人でも何かしらの足跡が残っているくらいだ。
演奏活動をしていたのなら絶対に手掛りがあるはずだと思い、『久木 瑠夏』の名前で検索してみた結果、演奏動画を含めて思ったよりも多くの情報を得られた。
音楽一家ではないものの、裕福な家庭で育った彼女は、幼少期から小中高一貫の私立学校に通い、大学は日本で三本の指に入る高名な音大を首席で卒業。
国内のコンクールでは、ジュニア時代から何度も入賞を果たし、大学在学中は国内外の若手音楽家を集めて行われる育成プログラムにも参加。ガラコンサートではコンミスを務めて賞賛を浴びている。
輝かしい経歴は、彼女が将来を嘱望されるヴァイオリニストだったことを示していた。
ところが、大学を卒業後、留学してからは様相が一変する。
欧米のコンクールに数々挑戦し、入賞もしているが、その後ソリストとして話題に上るような華々しい活躍には繋がらなかった。
ほとんどのコンクールで設けられている参加の年齢制限を超えてからは、ぱったりと表舞台から姿を消す。
とは言え、完全に弾くのを辞めたわけではなく、アンサンブル、病院や施設でのボランティア、オーケストラのエキストラや路上など、機会を見つけては細々と演奏活動を続けていたようだ。
ネット上にアップされている動画で見る彼女は、いつも変わらず美しかった。
そしてどの演奏も、あのDVDを見た時のようにわたしの耳を奪い、わたしの心に響くことはなかった。
留学してから十数年。
異国の地でヴァイオリンを弾き続けた彼女は、外出先で突然の心臓発作により亡くなった。
わたしが音楽活動の拠点としていた街で、
わたしが和樹と婚約破棄に至ったのと同じ時期に。