溺愛音感
ハナ、お見合いする②
********
かつてのわたしを知る人がいまのわたしを見れば、「落ちぶれた」と言うだろう。
収入は激減したし、注目を浴びることもなくなった。
でも、以前の暮らしに戻っただけだ。
ささやかな収入を得て、食べ、眠り、ヴァイオリンを弾くだけの。
「わたしたちには、まるで共通点がないから上手くいくはずがない。なので、このお話はなかったことにしてください。では、失礼します」
(ここまで言えば、納得するでしょ)
くるりと背を向け大股に一歩を踏み出し……つんのめった。
着物であることをすっかり忘れていたせいで、狭い歩幅に対して前のめりに身体が傾ぐ。
しかも、サンダルのような草履は、踏ん張るのにはまったくむいていない。
(わっ……わっ……!)
「ハナっ!」
飛び石の上に転がるのを覚悟した時、背後から伸びてきた腕に抱きとめられた。
(あ、危なかったぁ……着物って、簡単には洗濯できなさそうだし……)
ほう、と胸を撫で下ろした頭上で、笑い交じりの柔らかな声がした。
「着慣れないものを着るからだ」
振り仰いだ先にあったのは、温かいまなざしと苦笑する優しい顔。
不覚にも、胸がドキドキして、頬が熱くなる。
これ以上見つめるのは、危険――。
本能が訴える声に従い、俯こうとした耳に甘い囁きが落ちた。
『Ma bichette』