溺愛音感
「こ、こんばんは! すみません、お忙しいのに……それ、持ちますっ!」
駆け寄って手を伸ばしたが、ひょいっとかわされる。
「大丈夫。ヴァイオリニストの大事な腕に何かあったら、ヨシヤに叱られちゃうわ」
「あの、どうぞ中に……」
「寝てるんでしょう? 起こしちゃいけないから、ここでいいわよ。風邪?」
中へと促すわたしに首を振り、玄関先に段ボール箱を置いた。
「あの、風邪じゃ、ないんです、けど……」
ここまで来てごまかすのも白々しいが、勝手にしゃべるわけにもいかない。
もごもごと要領を得ないわたしに、ミツコさんは「わかっている」と言うように頷く。
「忙しい人だものね。ゆっくり休んで、栄養のあるものを食べて、元気になってもらいましょ。ヨシヤの育ち具合を見ればわかると思うけれど、我が家の病人食は効き目抜群よ! まずは、スープから説明するわね?」
段ボール箱の中には、密閉式の保存袋や容器がいくつもある。
ミツコスープは、密閉式の保存袋に入っているカット野菜を煮て、鶏がらスープの素、レモン汁、塩コショウを加えるだけ。
チーズ粥ミツコバージョンは、炊飯器の内釜に書かれている「お粥」の水加減で一合炊き、お鍋で別の容器に入っているチーズや牛乳と混ぜて、黒コショウをふるのがオススメ。
食欲がないときのためにと、食べやすい大きさに切った桃もある。
「それから……水分補給はとても大切だけれど、あまり冷たいものばかり飲むと身体が冷えてしまうから、ハーブティーを試してみて?」
プラスチックのケースにぎっしり入っているのは、小さな緑の葉っぱたちだ。
「葉っぱを入れて、熱湯を注ぐだけ。簡単でしょう? 抗菌、抗ウイルス作用に、リラックス効果もあるのよ? そのままでも飲みやすいけれど、紅茶とブレンドしても美味しいわ」
「こんなにたくさん……ありがとうございます」
「どういたしまして。作り方を書いた紙も入れてあるけれど、わからなくなったらいつでも電話してね?」
説明を終えたミツコさんは、さっさと玄関を出て行こうとする。
「え、あのっ! ミツコさん、お金っ……」
代金を支払いたいし、せめてお茶の一杯でもと呼び止めるわたし、ミツコさんは「いいの、いいの」と笑い、何かを思い出したように「あ」と声を上げた。
「そうそう、肝心な話を忘れるところだったわ! 病人を置いて、家を空けるのは心配でしょう? 電話かメールをくれたら、ヨシヤに配達させるから、必要なものがあれば遠慮なく言ってね? 商店街の魚屋さんとかお肉屋さんとかの品も配達できるし、日用品だってかまわないわ」
「でも……」
「困った時はお互いさまよ。お大事に」
引き留める間もなく、パタンっとドアが閉まる。
(……お礼、今度絶対にしよう)
ミツコさんには、お世話になりっぱなしだ。
改めて、何かお礼をさせてもらおうと心に決め、さっそく料理に取り掛かることにした。