溺愛音感


(え? なに、いまの? いまさら照れる……? マキくん、ときどき意味不明……)


一緒にお風呂に入らなくていいとマキくんから言われたのは、初めてだ。
しかも、なぜ照れるのか。そのツボがよくわからない。


「ま、いっか」


いくら考えても、俺様王子様の思考が理解できるとは思えないので、テーブルの上のお皿たちを食洗器に入れる。

それから、ベッドのシーツを取り替え、ミツコさんにお礼のメッセージを送って、手持無沙汰になったところへシャワーを終えたマキくんが戻ってきた。


「ハナ」


ずいっと差し出されたのは、ドライヤー。
俺様は、髪を乾かせと仰せのようだ。

しかし、後ろへ回ろうとした手を引かれ、ソファーに倒れ込んでしまった。


「ちょ、マキくん! 並んで座ってたら、やり難いよ!」

「二人とも横向きに座ればいい」


ソファーに足を上げて横向きになったマキくんは、背中から思い切りわたしにもたれかかる。


「マキくん! 重いっ!」


ぐいぐいと押し返し、コードレスドライヤーのスイッチを入れた。
髪が短いので、あっという間に乾く。


「終わったよ」

「ん」


大人しくしていたマキくんは、わたしの手からドライヤーを取り上げるとテーブルへ置き、すっくと立ち上がった。


「ハナのヴァイオリンが聴きたい」

「いいけど……本当に体調は大丈夫?」

「大丈夫だ。だが、ハナがもっとベッドの上で運動したいなら、もちろんそれでもかまわない」

「なっ……今日は、もう無理っ!」

「今日は? じゃあ、日付が変わればいいんだな?」

「そ、そういうことじゃないっ! マキくんのエッチっ!」


からかいの笑みを浮かべるマキくんから顔を背け、音楽室に駆け込んだ。


「マキくん、何曲くらい弾く?」

「任せる」

「イザイとバッハでもいい?」


無伴奏の曲を提案したら、「伴奏ありでもかまわない。ハナが弾きたい曲でいい」と言われる。

そうは言っても、病み上がりに難解な曲を聴くのはしんどいだろう。
弾くのだって、あまり負荷がかからないもののほうがいい。


(けど……あまり技巧的ではない曲かぁ……)


ホワイトボードに並ぶ曲は、どちらかというと重め。
弾きやすく聴きやすい曲はすでに演奏済みだ。


(どうしようかな……)


しばらく考え、今日はストックを弾くのではなく、「おまけ」の日にしようと決めた。


「ねえ、マキくん。ここにある曲以外で、聴きたい曲はある?」


マキくんは、一拍間を置いて曲名を告げた。


「メンデルスゾーン、歌の翼に」

< 252 / 364 >

この作品をシェア

pagetop