溺愛音感
(え? なに、いまの? いまさら照れる……? マキくん、ときどき意味不明……)
一緒にお風呂に入らなくていいとマキくんから言われたのは、初めてだ。
しかも、なぜ照れるのか。そのツボがよくわからない。
「ま、いっか」
いくら考えても、俺様王子様の思考が理解できるとは思えないので、テーブルの上のお皿たちを食洗器に入れる。
それから、ベッドのシーツを取り替え、ミツコさんにお礼のメッセージを送って、手持無沙汰になったところへシャワーを終えたマキくんが戻ってきた。
「ハナ」
ずいっと差し出されたのは、ドライヤー。
俺様は、髪を乾かせと仰せのようだ。
しかし、後ろへ回ろうとした手を引かれ、ソファーに倒れ込んでしまった。
「ちょ、マキくん! 並んで座ってたら、やり難いよ!」
「二人とも横向きに座ればいい」
ソファーに足を上げて横向きになったマキくんは、背中から思い切りわたしにもたれかかる。
「マキくん! 重いっ!」
ぐいぐいと押し返し、コードレスドライヤーのスイッチを入れた。
髪が短いので、あっという間に乾く。
「終わったよ」
「ん」
大人しくしていたマキくんは、わたしの手からドライヤーを取り上げるとテーブルへ置き、すっくと立ち上がった。
「ハナのヴァイオリンが聴きたい」
「いいけど……本当に体調は大丈夫?」
「大丈夫だ。だが、ハナがもっとベッドの上で運動したいなら、もちろんそれでもかまわない」
「なっ……今日は、もう無理っ!」
「今日は? じゃあ、日付が変わればいいんだな?」
「そ、そういうことじゃないっ! マキくんのエッチっ!」
からかいの笑みを浮かべるマキくんから顔を背け、音楽室に駆け込んだ。
「マキくん、何曲くらい弾く?」
「任せる」
「イザイとバッハでもいい?」
無伴奏の曲を提案したら、「伴奏ありでもかまわない。ハナが弾きたい曲でいい」と言われる。
そうは言っても、病み上がりに難解な曲を聴くのはしんどいだろう。
弾くのだって、あまり負荷がかからないもののほうがいい。
(けど……あまり技巧的ではない曲かぁ……)
ホワイトボードに並ぶ曲は、どちらかというと重め。
弾きやすく聴きやすい曲はすでに演奏済みだ。
(どうしようかな……)
しばらく考え、今日はストックを弾くのではなく、「おまけ」の日にしようと決めた。
「ねえ、マキくん。ここにある曲以外で、聴きたい曲はある?」
マキくんは、一拍間を置いて曲名を告げた。
「メンデルスゾーン、歌の翼に」