溺愛音感
わたしは、『久木 瑠夏』にはなれない。
どんなに時間をかけても、彼女のようには弾けない。
そのことを嘆いても意味がない。
わたしは、わたしの演奏をするしかないのだから。
わたしは、彼女のようにマキくんに寄り添うこともできない。
そのことを悔しく思ってもしかたない。
わたしとマキくんが過ごした時間は、彼女とマキくんが過ごした時間と同じではないのだから。
わたしは、わたしのやり方で、向き合い、寄り添うしかない。
それでも、思うのだ。
もしも、わたしのヴァイオリンが慰めになるのなら、嬉しい。
もしも、わたしの存在が、何かの役に立つのなら、それだけで嬉しい。
受け入れてもらうために自分を変えるのは、もうイヤだった。
変わったところで、いいことなんか何もなかったから。
でも、誰かに喜んでほしくて、誰かを支えたくて変わるのとは、似ているようでちがうのだと気がついた。
傷ついていたら、慰めてあげたい。
疲れていたら、癒してあげたい。
悲しみに暮れていたら、笑わせてあげたい。
与えられるものを受け取るだけでなく、
わたしからも何かをあげたい。
それが、届けられる距離にいたい。
触れ合える距離まで。
涙を拭える距離まで。
もっと、傍に。
もっと、近くにいきたい。