溺愛音感
ハナ、空白を埋める②
「俺と瑠夏が付き合い始めた経緯は、立見が話したとおり純粋なものではなかった。それでも、付き合っている間、それなりに恋人らしいこともした。ただ、大学を卒業して『KOKONOE』に入社してから、俺がプライベートに割ける時間は激減して、会うのもままならなくなったんだ」
マキくんは、当時のことを思い出したのだろう。顔を歪めて深々と溜息を吐いた。
「いずれ父親の跡を継ぐことは入社する前から決まっていた。覚悟はしていたが……同じ職場で働くことで、より父親の行動が見えるようになって、悠長にしている時間はないと思った。仕事より恋人を優先する余裕などまったくなかった」
松太郎さんが言っていたことが真実ならば、浮気を繰り返していたマキくんのお父さんが、いつ不祥事を引き起こすかわからないと不安に思うのも当然だ。
事実、マキくんは、早々に後継者としての責任を果たすことになった。
「正直なところ……瑠夏が留学を決めて、別れる理由ができたことにほっとした」
卑怯で、最低な男だと吐き捨てる口調には、そんな人が抱くはずのない罪悪感が滲んでいる。
「瑠夏も、俺の気持ちを見抜いていたんだろう。どうあっても、望んでいるものは与えられないとわかっていて、すんなり別れを受け入れた」
「望んでいたもの……?」
アンバーの瞳に暗い翳が落ち、掠れた囁きが聞こえた。
「俺は、瑠夏を……家族や『KOKONOE』より大事な存在とは、思えなかった」
「それはっ……」
そもそも、比べること自体がおかしいと言いたかった。
でも、マキくんがあまりにも辛そうに笑うから、言えなかった。
「だから、別れても何とも思わなかったんだ。感傷に浸ることもなければ、別の女を抱くのをためらうこともなかった。結局、最初から最後まで、『恋人らしく』扱っていただけだった」
「ちがうっ! マキくんは彼女のこと大事に思っていたよね? そうじゃなきゃ、あんな風に……楽しそうに演奏できないよっ!」
あのDVDに映っていたマキくんと彼女は、確かにお互いのことを大切に思っていたはずだ。
二人の気持ちが寄り添っていたから、あんな風に息がぴったり合う演奏ができた。
マキくんが彼女との関係にどんな名前を付けようとも、彼女のことを大事に思い、優しい気持ちで見つめていたことに変わりはない。
そんな自分自身の気持ちまでをも否定するのは、哀しすぎる。
けれど、頑ななマキくんはわたしの言葉を受け入れてはくれなかった。