溺愛音感
練習のみの代打のはずだと驚き、慌てるわたしを見て、三輪さんはくすりと笑う。
「冗談だよ。でも、僕のぎっくり腰が再発したら、よろしくね?」
「え、あ、う……」
オケの練習で弾くのは楽しいが、本番のステージで弾く自信はない。
そんな事態には、なってほしくない。
「三輪先生、やめてください。不吉なこと言うの……。それに、ハナちゃんがソリストで立ってくれるなら、ブルッフとかシベリウスとか、ちがう曲でやりたいです。ところで……九重社長。今夜は、見学……というより、視察ですか? ヨシヤから、オフィスビルでのミニコンサートを提案いただいたと聞いていますし……団のスポンサーにもなっていただけるかもしれないとか」
世間話をする時間が勿体ないと思ったのか、友野先生の口から踏み込んだ質問が飛び出した。
「スポンサーの件については、『KOKONOE』の社名を出す以上、わたしの一存で決められることではないので、現段階では何もお答えできません。ただ、検討材料が欲しいとは思っています。もっとも、今夜お邪魔した一番の目的はハナの様子を見るためですから、わたしのことは気にせずに、いつもどおりの練習をしてください」
「そうですか。まあ、いまさらカッコつけようと思っても無理なので、いつもどおりの姿を見てもらうしかないんですがね」
友野先生は苦笑いして頭を掻きつつ、いつもの定位置――全員の顔が見える場所に立つ。
わたしは、その隣へ。
マキくんは、三輪さんと一緒に第一ヴァイオリンの最後尾に座った。
「まずは、一楽章通してみようか。久しぶりに来た人も雰囲気掴めると思うから」
友野先生が指揮棒を構えた瞬間、空気が変わる。
演奏が始まってすぐに、友野先生が「おっ」という感じで眉を一瞬引き上げた。
(オケの音が、いつもとちがう……)
たとえ練習でも、「誰か」に聴かれていると思うと、気持ちが引き締まるし、演奏にも力が入るものなのだろう。
本来なら、見学者を連れて行く場合は事前に連絡すべきなのだけれど、ミツコさんの密命を果たすため、サプライズになってしまった。
が、これはこれでいい刺激になったようだ。