溺愛音感
「音羽先生。余裕なんてありませんよ。恥ずかしながら……ハナさんに感じているような気持ちをこれまで誰にも抱いたことがなく、自分に戸惑っているところです」
「参考までに、どんな気持ちを抱いているのか伺っても?」
すっかりイケメン社長(毒舌)の演技に騙されている母が身を乗り出す。
「それは……」
アーバンの瞳と目が合った。
一瞬、上品な微笑みが、「にんまり」という言葉がぴったりの不穏なものに変わる。
(な、何をする気……絶対にロクなこと言わない気でしょぉっ!?)
「お、音羽さん、訊かなくていいっ! どうせこのお見合いは破談に……」
「ハナは、黙ってなさい!」
「むがっ」
母を慌てて止めようとしたが、逆に手で口を塞がれる。
「どうぞ続けてくださいな、柾さん」
「常に傍に置いて、自分以外の誰にも触れさせたくない。すべての世話を自らして、自分好みに育てたい。もちろん無理に従わせる気はなく、餌や玩具で手懐けるくらいの余裕はあります」
社長(毒舌)は、誰が聞いても「オカシイ」と思うようなことを爽やかに言い切った。
(いったい……何の話をしてるの……)
どこからどう突っ込んでいいかわからず、戸惑う。
「そんな風に言ってくださるのは、柾さんくらいのものだわ。何もできない子ですけれど、しつければ芸のひとつやふたつは憶えられるはず……どうか、ハナをよろしくお願いしますね? 柾さん」
(しつけって……芸って……)
「はい。大事にして、手入れをかかさず、目一杯かわいがると約束します」
(手入れって何のことっ!?)
「まずは、何度かデートしていただいて……。そうそう、ハナは餌に釣られやすいですから、美味しいものでも食べさせてやればイチコロです」
(え、餌に釣られやすいって……そんなに食い意地張ってないからーっ!)
「いや、ここまでトントン拍子で話が進むとは思わんかった。柾をよろしく頼む、ハナちゃん。ところで……トイプードルに似ていると言われたことはないかね?」
にこにこ笑う松太郎さんは、犬好きらしい。
気さくで、憎めない人だ。
日本の文化を学ぶために見たテレビドラマで展開されていたような、「嫁いびり」もされないだろう。
でも……
(わたし、犬じゃないしっ!)
「この場ですぐに予定を組めないのが心苦しいのですが、スケジュールを調整して、なるべく早く記念すべき第一回目の散歩……いえ、デートができるよう善処します。音羽先生」
「よろしくお願いしますね? 柾さん」
「改めて乾杯しようか、音羽先生。君、すまんがシャンパンを持って来てくれんかね? もちろん、最高級のものを頼むよ。それにしても……本当に嬉しい」
「わたしもです、松太郎さん」
(誰か……誰か、わたしの話を聞いてぇぇぇっ!)
こうして何も言えないまま、言わせてもらえないまま。
わたしの人生初のお見合いは幕を閉じた。